Headhunters

 おっと気がつくと2003年になってますが,みなさま,年末年始は以下がお過ごしでしょうか? ナカムラは今年も年賀状を一通も書きませんでした。毎年「今年こそはお世話になった方々に」と思って,年賀はがきまで買う(でも10枚ほどだけど)のだが,結局書かずに終わってしまう。みなさん,すみません。(なんか去年も同じようなことを書いた憶えが・・・。)

 それはともかく,ナカムラは例年のごとく,あまり年末年始っぽくなく年を過ごしたのだが,年末にはカラヤン指揮のベートーベンの第九をCDラックから出してきて聴いた。普段はクラシックはあまり聴かないので,ちょっと変わったことをやってみて,やっぱり年末っぽいな,などという雰囲気を楽しんだわけである。そして「そう言えばCDの規格を決めるときに,録音時間の70分強というのはカラヤンの第九から決めたという話を聞いたことがあるが,これって都市伝説っぽいな」などと考えているうちに眠たくなってきて,曲が終わると寝てしまった。
 で,まあ次の朝になって,車に乗るとカーオーディオからハービーハンコック&ヘッドハンターズの“Hung up your hung ups”が聞こえてきた(*)。いや,これは自分が前に入れたCDなので聞こえてきても不思議はないのだが,考えるに,これはベートーベンの第九と通じるものがあるのである。つまりヘッドハンターズである。“ヘッドハンター”というとわれわれ日本人には,企業の有能ビジネスマンを引き抜く仕事人で“課長島耕作(**)”に出てきそうなイメージをもつが,もともとの英語の意味は“首狩族”のことである(英語でも引き抜きの意味もあるが,それはあとからついた)。

(*)もちろん,“Flood!”のライブバージョンである。このライブ盤の一曲目“Actual Proof”と最後の“Hung up your hung ups”はめちゃくちゃすごい。VSOPも捨てがたいが,ハンコックの最高の演奏と名高い(ナカムラがそう呼んでいるだけかも知れんが)だけのことはある。ちなみにここでベースを弾いているポールジャクソンは今は千葉県に住んでいて,日本のあまりぱっとしないミュージシャンとあまりぱっとしないバンドをやっていたりするが,そのベースのドライブ感は,もうとんでもない。ナカムラの中ではジャコパストリアスについでエレキベーシストランキングの2位にいるのだが,世間的にもっと評価されてもいいと思う。・・・などと思わずヘッドハンターズへの思い入れを書いてしまったが,聴いたことのないひとにはどうでもいい話題ですね。
(**)すみません,実は島耕作って読んでいないので,ヘッドハンターが出てくるかどうかわかりません。他にビジネスマンものの有名作品を思いつかなかったもので・・・。

 そこで,太平洋のある島に伝わる首狩族の昔話に話は飛ぶ。むかしむかし,この島の住民はいくつかの部族にわかれて暮らしていたが,ある部族の酋長が別の部族の酋長と仲たがいをして,ついに相手の部族を滅ぼしてしまった。滅ぼされたほうの部族の生き残りは復習を誓って,いろいろと苦労の末,ついに相手の酋長の家に攻撃をしかける。そして首尾よく相手の酋長を殺した後,首狩り族の風習にしたがって,その首を高々とかかげ,太鼓のリズムにあわせて雄叫びをあげる,というのがこの昔話をめちゃくちゃかいつまんで説明したストーリーである。この昔話は島民にいまだに人気があり,21世紀になった今でも繰り返し演劇やテレビドラマになっている。賢明な大仏率読者のみなさんには,もうわかりましたね,その昔話のタイトルは“忠臣蔵”です。

 というわけで,考えてみると日本人が首狩り族だったわけだが,実はナカムラがこれに気がついたのは大学生の頃だったと思う。それまで,時代劇なんかで武士が敵将の首をとるシーンはよく見てきたのだが,これが“首狩族”というもののイメージとは一致しなかったのだ。その心理を探ってみると“首狩族”というとなにか野蛮かつ未開なイメージがあって,自分の民族がそうであるとは考えもしなかったのではなかろうか? ナカムラは文化的民族的偏見の影響下にあったということである。
 首狩などと同様に野蛮な風習という偏見があるのは食人,いわゆる“人食い人種”の風習である。これには安っぽいカリカチュア的なイメージがつきまとうが,実際には人間を食料として食べる民族は過去にも現在も存在しないそうだ。考えてみれば,生態系の頂点のほうにいる人間はエネルギー源としてはきわめて効率がわるいし,定常的に食料として供給するのは非常に困難である。実は食人の習慣というのは,もっと宗教的なもので,たとえば戦いで倒した敵の勇者のスピリットをもらうとか,死亡した人間が肉親に食べられることによって,肉親の中で永遠に生きることになるとか,そういうものだそうだ。

 20世紀の前半までは,西洋文明至上主義がまかり通っていて,首狩りや食人などの風習は野蛮なもので,そのようなものは早く捨てて西洋文明化するのが,正しい道だと思われていた。ある植民地で,昔からある肉親が死人を食べることによって弔うという風習を,宗主国が野蛮行為として禁止したために,その民族のなかでは葬式ができなくなってしまった,などという悲劇が起こった。そして,20世紀の後半になって,もっと文化の多様性をみとめようという考えがひろまってきて,単純な西洋至上主義は旗色が悪くなってきたわけである。
 しかし,これは難しい問題を含んでいる。たとえば,昔の日本のように(*)男尊女卑がまかり通っていて,女性に選挙権がない,というのを「これはこの民族の風習だから」で片づけていいのだろうか? やっぱり,民族性として尊重されていいものと,人間としてそれはちょっとまずいんじゃないの,というものがあるような気がする(**)。ナカムラの友人がインドの研究所にしばらく滞在したときに,廊下を掃除するおばさんに毎朝挨拶をしていたら,そこの教授に「そんな身分の低い者に挨拶をするべきでない」と言われた,という話をきいたことがある。その教授がウルトラカースト主義者で,インド一般ではそんなことはないという可能性もあるが,そうでなくてインドでは一般にそういう行為が非常にはしたない,ということになっているとしたらたら,どうすべきであろう? スープを音をたててすすってはいけない,というような単純なことなら,その国の風習に従うのは簡単だが,こういう人格にかかわるような問題だと難しい。
 ・・・などということをふまえて,ナカムラは「多分,こういう問題にはつねに『西洋文明を見習うべきだ』とか『民族性を尊重すべし』とかいう一律の画一的な答えはなくて,その場その場で一生懸命考えて妥協していくしかないのだろうなあ」と考えて難しい問題だと思うわけである。

(*) いまでもそういう国は結構多いと思う。
(**) この価値判断が時代や場所や民族やなにやらで一律じゃないのが問題なんだけど。

 それほど深刻な問題ではないが,ナカムラが最近,似たような経験をしたのが,研究分野による文化・風土の違いである。ナカムラがいるところは福井県立大学の教養センターで,教養教育担当のセクションだから,理科系文化系とりまぜていろいろな人種がいる。その研究者も文化系と理科系,人文系と社会系,理学系と工学系,物理系と生物系,物理学系と地球物理学系など,いろいろと細かい分類があって,それぞれに業界の文化やしきたりが違う。その文化は長い歴史を持っているので,それなりに尊重すべきではあるが,やっぱりあきらかにまずいものは“文化の違いだ”で片づけるのではなく,変えていくようにするべきであろう。

・・・などと偉そうなことを書いているが,あれ,はじめの方にベートーベンの第九とハンコックのHeadhuntersが「通じるものがある」とか書かなかったっけ。いやつまり,第九も忠臣蔵もなぜ年末にやるかというと,これらの定番の出し物だと確実に集客能力があるので,楽団・劇団員の年越し費用をかせげるからだそうです。いまは経済状態も変わって“年越し費用”なんて概念は薄れてきたけど,昔は結構大変だったようですね・・・。

 なんや,思わせぶりに書いておきながらしょうもないオチやなあ,と思われた方,実はこの話にはもっとなさけない裏があって,実はナカムラは第九を聴いた次の日に「車に乗るとカーオーディオからハービーハンコック&ヘッドハンターズの“Hung up your hung ups”が聞こえてきた」なんて展開で忠臣蔵へ話をもっていくために,前日の夕方にわざわざHeadhuntersのCDをカーオーディオに入れておいたのでありました。しょうもな。

とりあえず,ことしもよろしくお願いします。

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2003/01/06