読書感想文

 そろそろ8月も終りに近付いて,小中高のみなさんが夏休みの宿題に頭をなやます季節ですね。実はナカムラは子どもの頃,夏休みの宿題なるものに納得がいかなかった。単に文字を左から右に書き移すだけの書き取りだとか,内容の全く無い,数学の本質とはなんの関係もない計算ドリルとかを,どうしてもやる気がしなかったのだ。だから,読書感想文とか自由研究とかの創造性が試されるものは7月中に楽しみながらやったが,ほかの単純作業系の宿題はぎりぎりまでやらなかった,・・・というような少年時代の回想をすれば教養人的大学教員っぽくてナイスだが,もちろん,そんなことはない(*)。ナカムラ少年は単に怠惰であるがゆえに,8月ぎりぎりまで宿題をやらなかったのだ。「人間には2通りある。夏休みの宿題を7月中にやるやつと,8月29日に始めるやつだ」という言葉があるが (**),ナカムラは典型的な後者なわけである。
 であるから,毎年,夏の終りにヒグラシなき始めるころになると,本当に憂鬱だった。8月25日を過ぎると,ああ,宿題やるのいやだなあ,明日目が醒めたときに学校がなくなっていたらどんなに素晴らしいだろう,いっそのこと校舎に火をつけてやろうか,でも捕まったらいやだなあ,少年院に入れられるのだろうか,でも俺と同じことを考えているやつも多いはずだから,誰かやらないだろうか,藤田とか小林とかをそそのかしたらやりそうだよなあ,いやまてよ,みんながそれを望んでいるのなら,俺が火をつけたら英雄になれるんじゃなかろうか,でも,ひと夏の英雄になるために人生棒にふるのもなあ,ああ,宿題やるのいやだなあ,とイジイジイジイジ考えていたわけである。そんなことを考える暇があったら,計算問題の一問でもやればいいのだが,現実逃避型人間の常として実行にうつすことはない。もちろん,読書感想文も自由研究もやらなかった。

* 以前からの読者の方は,この文章の出だしあたりを読み始めた頃から,最後の「そんなことはない」が読めているのでは? なんてことをふと考えたのは,実はここの「巧妙に話を進めるものの巨大官僚組織に」あたりから「といったことはもちろん全くなく」の予想がついてしまったからである。いや,しかしこういう先が読めるのも「大阪名物パチパチパンチ」(←知らん人もかなりいる)みたいな一つの様式美(“美”?)としてうけいれていただきたく・・・,ねえ,田崎さん。
** これも御名察の通り,ナカムラの言葉です。

というわけで,今回はその頃の罪滅ぼし(?)に,夏休みの宿題として最近読んだ本の読書感想文など。本に関する情報はアマゾンのページをリンクしておきます,と言って内容紹介の手をぬくもをかし。

マイルス・デイヴィスの真実
 日本のジャズオタクが書いた「ジャズの帝王」マイルスデイビスの伝記。実はナカムラは自叙伝を含めてマイルス本はいくつか読んでいるので,とくに目新しいことは書いてなかった(*)が,なぜか思わず一気に読んでしまった。これは著者の語り口とか本の構成とかがいいからというわけでなく,ジャズファンにとってはマイルスの一生というのが何回読んでもおもしろいからであろう。
 そういう意味では,70年代後半の「休止期間」の前と後とでは伝記の意味が全く違う。休止前のマイルスの伝記は,とりもなおさずマイルスのストーリーがジャズの歴史そのものなわけだが(**),休止後復活した後のマイルスは,ジャズ界全体に対する影響力はもはやなく,その物語はかなり有名な一ミュージシャンの物語にすぎない。自叙伝でそういう書き方をしていないのはあたりまえだが,本書でもそういう視点からの論評はなかった。マイルスについて本を書こうかというやつは,大のマイルスオタクなので,こういう発想はない(あってもあえて書かない)のかなあ。

 で,前半のジャズの歴史そのもののマイルスもいいが,実はナカムラは,復活してからのマイルスの話も好きだ。もうへろへろのじじいになって,まともに音が出せないのに,イチビッた服を来て「Time after time」とかを吹くのが,なんともいえずかっこいい。この本でいちばん気に入ったマイルスのセリフ:

オレの音楽がどういうものか,だって? 教えてやろうか。かっこいい音楽のことだ。それ以外になにがあるって言うんだ。音楽が芸術だってヤツがいるけど,違うな。
うーん,シブい。一度でいいからこんなこといってみたいですね。
オレの研究がどういうものか,だって? 教えてやろうか。かっこいい研究のことだ。それ以外になにがあるって言うんだ。科学が人類の役にたつってヤツがいるけど,違うな。
うーん,このセリフはマイルスが言うからかっこいいので,ナカムラみたいなチンピラ研究者には荷が重すぎるな。

* 「死刑台のエレベーター」は事前に楽譜があったとか,「ラウンドミッドナイト」のコルトレーンのソロの前のフィギュアはギル・エバンスのアイデアだったとか,有名なクリスマスセッションでモンクと喧嘩したのは嘘だとか,ちゃんと知ってたもーん。
** と書くとマルサリス師の逆鱗にふれるだろうか。

理系白書
 これもマイルス本と同じく,とくに目新しいものはなかった。目次を見たら大体想像のつく内容。そこで反省してみるに,ナカムラは自分が知っている内容を確認するという心地よさのために読書をするときが結構あるなあ。 なんて後ろ向きな。まあ,それはともかく,気がついたのは,この本では「文化系研究」というものをわりと無視しているということだ。「研究=理科系」という前提があるような。就職問題とか女性研究者の地位の問題とかは別に理科系特有の問題ではなく,研究職一般の問題であろう。最後の章の「文理融合」というのでも,そこで出て来る文化系の分野は,たとえば国文学とか哲学とかにくらべて,かなり理科系寄りの感じがする。いや,それがこの本の欠陥というわけではないのだが,これを読むと,世間一般で「研究」というときは暗黙のうちに理科系研究を仮定する場合が多いということに気づかされる。
 これは,多分,日本において文化系の研究が不当に軽んじられているというのが一因じゃないだろうか? 大学に限っていえば研究者というのは文系の方が多いわけで・・・え,理系の多くの分野では企業の研究所が主体で,大学の研究者なんて相手にされてない? こりゃまた失礼しました。まあ,とにかく,これを読んでいらっしゃるみなさんの中には,「ああ,そういえば,研究者って理科系だけじゃないなあ」という方も結構いらっしゃるのではないだろうか? ナカムラの友人の文化系研究者がぼやいていたが,文部科学省に予算の要求をするシステムなんかも理系の研究を前提としてつくられていて,すこぶるやりにくいそうだ。
 月並ないい方をすると,これは明治以降の西洋科学輸入にはじまる富国強兵がどうのこうので,理科系偏重がなんたらかんたらということになるのだろう。この手の理由付けがどの程度妥当かはよくわからないが,ナカムラの思うに,それ以外に文化系研究者の宣伝不足というのもあると思う。理科系にもあるが,とくに文化系の研究者は自分の研究について,世間に声高に喧伝するのは,はしたないという風潮があるのではなかろうか。いままではそれでよかったかも知れないが,今からの独立行政法人化がどうのとか,業績評価どうのこうのとかいう時代では生き残るのがつらいだろうなあ。そういう世間の変化に流されるのを潔しとせずに,武士は食わねど高ヨウジ,などと孤高を保ってフェードアウトしていくのも,まあ,それはそれでひとつの道かも知れないが。
 独立行政法人化について,ナカムラがどう思っているかについて書き出すと長くなるのでまた今度。

メガバンクの誤算
  これは知らないことばっかりで勉強になった。で,この本の最終章は「明後日への処方箋」ということで,日本の銀行が復活するにはどうすればいいかが書いてあるのだが,もし,ナカムラの銀行に対する認識が正しければ,今の銀行の構成員にまかせている限りこの処方箋が実行されることはないだろう,というのが感想であった。つまり,銀行員という人種は船が沈むとわかっていても,寒い水に飛び込む勇気はない,ということだ。でも,こういう銀行のメンタリティって結構大学教員にもあてはまりません? この本ででてくる銀行に対する批判って,かなりの部分でそのまま大学にもあてはまるような気がする。たとえば,“日本の銀行の風土は「危機意識がない」「サービスがない」「競争がない」という三つの「ない」に象徴される”とか,“そこにあるのは,未知の分野で競争する勇気がなく,一方で既得権への侵略に対しては徹底的に排除するだけという経営者のギルド的体質だけだ”とか。だから独立行政法人化なんて話がでてくるのだが,独立行政法人化についてナカムラがどう思っているか(・・・以下略)



わ,思いつくままに書いているうちに規定字数(?)を越えてしまった。「昭和の劇」とか「天井裏にだれかいるんですよ」とか,まだ書きたいのはいっぱいあるんだけど,次回ということでご勘弁。やっぱり宿題は全部できなかった。(でも次回っていつだろう。)

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2003/08/23