大審問官

 そういう職業は多いと思うが、大学教員にとって年度末というのは出張の多い季節である。ナカムラも2月から3月にかけて,研究会などでいくつかの出張に行った。以下はそのなかで,関東圏のとある地方都市に行った時に,そこの大学病院で医師として働いている大学時代の友人と飲んだ席で聞いた話である。その業界(*)の医者の間では以前から噂としてささやかれていた話なので,聞いた事がある方もいらっしゃるかもしれない。そのままだと結構生々しいので,話にちょっとナカムラの脚色も加えてあるのをお許しいただきたい。

 この友人の学生時代の指導教官はその業界のビッグボスのひとりであり,影響力のある人物であったが,10年ちょっと前に大学を定年になってからは表舞台にでることはせず,悠々自適の生活をおくっていた。愛弟子である友人の言葉だから割り引いて考えるべきかもしれないが,医者のようなドロドロした世界には珍しく(**)高潔で清廉な方だったそうだ。「だったそうだ」と過去形で書いたのは,残念な事に少し前に病でたおれられ,帰らぬ人となったからである。
 この話は亡くなる2日前にナカムラの友人が病院を見舞ったときの話である。もうそのころには老人の病状はかなり悪化していてほとんど意識がなく,ときおり目が醒めても意識モウロウとした状態が続くという段階だったそうだ。友人は病室に入って,しばらく病人の寝顔をみながら付き添いの夫人と話していたのだが,ちょっとした買物かなにかでその夫人が病室を離れることになった。夫人を病室のドアまでおくってベッドの方に向き直った時,彼は心臓をつかまれたように驚いて立ち止まった。老人がはっきりと意識をとりもどし,ただならぬ形相で彼の方を凝視していたからだ。彼はそのときのことをチープな文学青年のような言葉で

「魂の奥底の,自分でも気が付かない暗部を見透かされるような視線だった。多分,先生はもうあっちの世界に行っていて,そこから俺の心の底をのぞいていたのだと思うよ。」
と表現した。二人が無言で見つめあっていたのは,ほんの一瞬のことだったのだろうが,彼にはとんでもなく長い時間に感じられた。先に口をひらいたのは老人の方だった。彼は凍ったように動けなかった。
「**君。あれはね,あの噂はね,本当ですよ。」
病気で枯木のようにやせ細った老人のその表情をみて,彼は唐突にムンクの「叫び」を思い出したそうだ。後になって彼はこのシーンを,まるでビデオを再生するように何度も思い出した。そして老人が自分の名前を正確に呼んでいた,つまり意識はしっかりしていたことに思い当たったそうである。
「え?」
「だからね,わたしはやっちゃったんですよ。やってはいけないことを,ね。でも,わたしはそれを恥じてはいない。後悔もしていない。わたしはね,あと3日はもたないでしょう。でも生まれ変わってもう一回同じ人生を生きたら,迷わず同じ事をしますよ。」
「あの噂」という言葉から,彼はすぐにある薬の名前に思い当たった。それほどその噂は有名だったのだ。彼はその薬品名をだして尋ねた。
「**のことですか?」
しかし混濁していく老人の意識にはその言葉は届かなかった。
「あれはね,後悔はしていない,あれはね,そうするしかなかったんだ・・・」
 その“噂”について説明するには“プラシーボ効果”あるい“偽薬効果”と呼ばれるものについて解説しなくてはならない,といいながら今は便利な世の中になったもので,このあたりの解説を読んでみてください。要するに「病は気から」とか「鰯の頭も信心から」(ちょっと違う?)というように,薬でない,たとえばただの水のような物でも「よく効く薬だから」と信じて飲めば,心理的要因で効いてしまうということだ。いま,日本で新しく開発された薬品が新薬として政府に認可されるには,その薬がプラシーボ効果でなくて,本当に生物学的に効くのかどうかを確かめるために,二重盲検法という検査方法を使う。

 “噂”というのは,ナカムラの友人が医者になるはるか前に,この老人 --- もっともこの当時は壮年の研究者だったが --- が,とある新薬の認可について,薬効を二重盲検法で調べたときのことに関するものだ。いつものように患者を二つの集団に分け,片方には本物の薬を,片方には偽薬(プラシーボ)を与える。もし,薬が実際効くのなら,本物を与えた集団には著しい効果があらわれるはずだし,そうでなければ両方の集団にプラシーボ効果による若干の効果が等しくあらわれる。ところが,このときの結果をみて老人は驚いた。両方の集団に著しい効果があらわれていたのである。
 老人は迷った。ここで病名をあきらかにすることはできないが,この新薬が対象としている病気はこれといった薬が無く,患者の苦痛は耐え難いものがあった。それが,偽薬を投与された患者でも病状がかなり改善し,とくに苦痛の軽減は目を見張るものがあるのだ。この病気は心因性の部分がかなりあるということだろう。もし,ここでこの新薬が「薬効なし」ということで認可されなかったら,これからも多くの人々がこの病気によって救いがたい苦痛を味わうことになる。たとえ偽薬効果でも,多くの人の苦痛が軽減されるならば医師としてはそれを是とするべきではないのか? しかし,研究者としての立場からは,真実を欺くのは許されがたい。いや,研究者どうこうよりも,患者のためとはいえ世界を欺くことは道義的に許されることなのか?

 結局,彼は医師としての立場を選んだ。その薬はいまでも病院などで頻繁に投与され,実績をあげている。科学的にはただの水などと同じなのだが,実際には多くの人がその恩恵にあずかっているのだ。新薬というのは一度認可されてしまえば,再び追試験をされることなど滅多にない。

 実はナカムラが友人からきいたこの話の細部は,こんな所には書けないことが多い。多くの人が関与する新薬のテストで,なぜ一人の判断だけでこの薬が認可されるのにいたったのか,とか,あるいは巨額の金が動く製薬ビジネスの裏側,厚生省と大学病院の思惑のぶつかりあいなど,それだけでひとつの社会派小説ができるくらいの話があるのだが(***),ここでは割愛させていただく。それよりも印象に残ったのはその友人が別れ際に言った,

「なんで先生はあの時に話してしまったのだろう。できれば聞かずにいたかったなあ。」
という言葉だった。ああ,こいつは十字架しょっちゃったんだなあ,と思った。
 嘘を墓場までもっていこうとした老人の決断と,それを死の直前に愛弟子に語ってしまったという事実,そしてその愛弟子が新たに背負ってしまった十字架。まるでドストエフスキーの「大審問官」みたいだ,と思った。ナカムラのやっている研究には,間違ってもこういう問題はおきないだろう。もし,そういう立場になったら,自分がいったいどういう判断を下すかは想像もつかない。

* ここで耳鼻科とか呼吸器科とかいう具合に書くと,ほぼ個人が特定できるので,「その業界」とぼかしておくのをお許しねがいたい。
** もし,医者の方が読んでいらっしゃったら失礼。
*** 種々の裏話については,ナカムラの友人も,噂話程度で確証のない情報が多いことを認めていたのだが。



さて,今回のページはあまり推敲がされていないし,オチもないみたいに見えるが,それは実はこの文章は2時間程度で大急ぎで書かれたから。なぜなら今日中に書かないとあと一年待たなくてはならないので,というのがオチです。

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2003/04/01