Yesterday's Hero

 ああっ,ついに5月は大仏文書をひとつも書かなかった! ごめんなさい。実は先週は学会で福井にいなかったのであるが,思えば去年のいまごろは毎週のように新しいページを書いていて,学会で一週間ぬけると「来週はぬけます」などと律儀に予告などしておった。それが,いまは一月以上何にも書かなくても平気になってしまったのである。人間,堕ちれば堕ちるものですね。しかし冷静に考えると,この事態はナカムラの飽きっぽい性格からすれば十分予測できたはずで,むしろ,いままで細々と続いている方が不思議なのかもしれない。

 などといいつつも,またぞろ書き始めるわけであるが,Monkeys,Bay City Rollers,Nackと三つのバンド名をあげて,全部ご存じのかたはどれくらいいるだろうか? それぞれの代表曲を2曲以上あげよ,などと言うとそれができる人の数はさらに少数になるにちがいない。で,この三つに共通するものはなにかと言えば,人気がでてきたときに「ビートルズの再来!」「ビートルズを超えた!」などともてはやされたことである。たしかに,それぞれの頂点の時期にはヒットチャートの上位に複数曲を送り込み,だれでも1,2曲は口ずさめる状態ではあったのである。
 しかし今では,たとえばカラオケ屋で「Yesterday's Hero」や「Grils talk dirty」などを歌う者は希少種になっている。(いや,そもそもカラオケ屋のリストにこんな曲はあるのか知らん。実はナカムラはカラオケは忌み嫌っているのでよくわからん。)それに比べて「Let it be」とか「Hey Jude」とかは,今でもそこら中でかかっているのである(*)。つまりビートルズの後にビートルズなし,というわけだ。

* 実はナカムラは「Fool on the hill」とかが好きなのですが,これはあまりかかってませんね(それでも「Yesterday's Hero」よりは,はるかにましだ)。

 ということで,どこに話をもっていきたいかと言うと,物理学である。物理学でもときおり,「ニュートン以来の革命」というムーブメントがあるようで,ナカムラがほぼリアルタイムで経験したものには,ルネ・トムのカタストロフィ理論がある。これはナカムラが学生のころにすでに下火にはなっていたが,それでも,大学の書籍部に行くとカタストロフィ関係の教科書が何冊かならんでいて,手にとって前書きを読んでみると「ニュートン以来の物理学の流れに変革を」みたいなことが書いてある。ニュートン以来,物理学はいわゆる“ラプラスの悪魔”的に運動方程式をときまくる努力をつづけてきたが,それには限界がある,カタストロフィ理論は全く新しいアプローチでその限界をこえるものである,などという主張だ。
 ナカムラは若かったのでそれを真にうけて,そのような教科書の一冊を買ってきて,微分位相幾何の部分はむつかしいので適当に読み飛ばして,“つばめの尾”のカタストロフィで犬の攻撃性を説明する,なんてのを読んで感心していたものだ。今思うと,かなりおめでたかったかもしれない。で,今になって考えると,カタストロフィ理論はBay City Rollersと同じく,全然ニュートンを超えなかったし,いまでも一定の分野では成果をあげているかもしれないが,物理学全体を書き換えるなんてことはなかった。

 ところで上に書いた「“ラプラスの悪魔”的に運動方程式をときまくる努力は限界がある」云々ってカタストロフィ以外にもどっかで聞いたことがありませんか? そう,最近はやりの,というより,ちょっと前はやってて,最近はちょっと下火になってきた“複雑系”の本のまえがきなんかにも,同じようなことが書いてある。その主張は,おおざっぱに言うと「近代科学の要素分解・還元的手法では“木を見て森を見ず”であって,各要素が複雑に連関したこの世界を正しくとらえることはできない」というものだ。ナカムラは,これは全く正しいと思う。
 ただし,このような指摘は複雑系に始まったことではなく,前述のカタストロフィのときもそうだったし,それ以前にも何度となく指摘されていることである。そもそも,分解・還元的手法のシンボルとして語られる“ラプラスの悪魔”というやつも,ラプラスの原著を読むと,たしかに「宇宙の中のすべての粒子の運動が計算できる悪魔がいれば,彼は世界のすべてを予言することができる」と書いてあるのだが,そのすぐ後に「しかしながら,そんなことは不可能であるので,なんたらかんたら」と話が続くそうだ(*)。つまり,ラプラスはこの路線の限界を十分承知していたのであろう。たぶん,ニュートンを含めて,ちょっと気の利いた科学者だったら,分解・還元的手法に限界があることくらい,ちゃんと認識しているはずである。

* この辺は以前に読んだ本の記憶にたよっているのでいいかげんです。だれか詳しくご存じの方は教えてください。

 では,なぜいままで分解・還元手法からぬけだせないでいるかと言うと,それは他にいい手法がみつからないからである。それじゃいやだ,というので,多分ニュートンの昔からいろいろな試みがなされたわけだが,ほとんどすべてはBay City Rollersに終わってしまったわけである。ナカムラが思うに --- 異論はあるかもしれないが --- 唯一の例外はマックスウェル-ボルツマン-ギブスと続く統計力学だけじゃなかろうか。
 そして,今後,とんでもないブレークスルーがないかぎり,複雑系の研究もBay City Rollersと同じ道をたどるであろう。いま,“複雑系”というキーワードで語られているものは多いが,それらは10年後には「Yesterday's Hero」になってしまって,「ああ,そういえばそういうのもあったなあ,あのころはみんな熱狂したものよ」と思い出される存在になっている可能性が高い。

 などという最近ありがちな内容の複雑系に対するコメントを書いてきたのは,実はナカムラはプラズマの理論をやっている関係で,“複雑系”というキーワード周辺でなにかする機会がけっこうある(*)から,ちょっといいわけをしておきたかったわけである。しかし,なんか2002年の今になってこんなことを言うのは,セガサターンが落ち目になったのをみとどけてからプレイステーションにのりかえるみたいで気がひけるなあ。1990年ごろの,複雑系がぶいぶい言わしていたころだと慧眼といわれたかもしれないけど。ただ,負け惜しみ的に言っておくと,ナカムラはそのころから複雑系とは距離を置いていて,上のようなことはよく口にしておりました。これを読んでいるなかにもナカムラがそう言うのを聞いたことのある方もいるでしょう(**)。

* たとえば,去年,とある会議で「Plasma as a complex system」なんてセッションをやったりしてました。
** しまった! いま思い出したけど,「相互情報量をつかってプラズマの乱流磁場を解析する」なんてことを学会で発表したことがあったような・・・。だからこのへんは話半分に聞いておいてください。後からならなんとでも言えるものですね。The hide site is 20/20 vision... (6月10日付記)

 しかしながら,複雑系どうこうという話が全部カスで,人類になんの貢献もしていないかというと,そんなことはないと思う(*)。ビートルズのように世界は変えなかったけど,Bay City Rollersの「Yesterday's Hero」は,まだ憶えている人の多くにとっては「結構いい曲だったよね」と青春の思い出になっているはずだ。まったくヒットしなかったStoicksの「共同幻想」(知ってる人,いる?)よりは,遙かに多くの人に影響をあたえているわけだ。それと同じく,複雑系やカタストロフィ(この二つを同列にならべるな,と言われるかもしれないが)も,人類の知識として後世にのこるものもあるであろう。「ニュートン以来」というほど大げさなことではないというだけだ。ナカムラもカタストロフィの勉強をして,世界はかわらなかったが,そこで学んだ微分位相幾何的な考え方は,いまでも役に立っていると思う。
 それに,基礎科学研究というのは9割以上(99%以上?99.9%?)が“はずれ”である歩留まりのわるい営みであるので,どうせはずれるなら「ひょっとしたらニュートン以来」というはずれかたの方が美しいのではないだろうか。たとえばナカムラの業界だと,古典的問題であるリコネクションモデルの検証とか,磁力線共鳴モデルによる地磁気脈動の研究とかを10年1日のごとくやっている(**)より,カッコイイと思うのである。

* でも,たしかにカスは多いよね。
** このような研究がダメだと言っているわけではありません。地道な研究も必要でしょう。ただ,“カッコイイ”とはいえないなあ。


ということで,物理ついでに大分前に書いたパラドックスのつづきで1問。実はこのページにはなんの反応もなかったので,最近まで忘れていたのだが,先日,現役の学生さんからこれに関するメールをいただいて,それに喜んでこのときに書き忘れていた問題を以下に書くわけである。ネタは統計力学。統計力学の専門家も読んでいらっしゃるこのページに書くのは気が引けるが --- そんなこと言うと上の複雑系ネタはさらに気が引けるが --- 「気が引ける」と書いておけばなんとなくOKかな。まあ,わかっている人にはどうということもないかも知れないが,ナカムラはやっぱりちょっと悩んだ問題である。

 温度T0の気体の中に流線型の容器が浮かんでいる。容器に固定した系でみると,無限遠点での気体の速度はv0である。いま,気体は完全流体とみなせるとして,容器のまわりを流れすぎるときに,粘性などによって発生する熱は無視できるとする。変な渦運動なども起きない。容器の中には外と同種の気体が入っていて,当然,その気体の流速はゼロである。さて,十分時間がたったときに,この容器の中の気体の温度はT0と等しくなるであろうか,それとも,T0より大きくなるであろうか?

  1. 答え:大きくなる。
    十分に時間がたつと,熱平衡状態になって,容器の外と内とで粒子一個あたりの平均エネルギーの等分配がなりたつはずである。つまり,容器のまわりの流体と容器の中の流体をひとまとめにして孤立系と考え,全エネルギーが保存するとすると,実現確率が最大になるのは,粒子一個のエネルギーの平均が容器の中と外で同じになるときである。ところが外の流体は温度T0に対応する熱運動に加えて流速v0を持っているので,粒子の平均エネルギーは温度T0で静止している流体よりも大きい。中の粒子の平均エネルギーは,外の粒子の平均エネルギーと同じであるが,v0でゲタをはいていないので,必然的に温度はT0より高くなる。たとえば大気圏に突入する宇宙船などは表面が高温になるが,これは大気との相対運動(v0)のエネルギーぶんだけ,温度が上昇しているのである。
  2. 答え:同じ。
    だって,流体にのった系にガリレイ変換するとv0によるエネルギーは逆転するもん。大気圏突入の宇宙船が高温になるのは大気との摩擦のせいであって,完全流体の場合はそんなことおきるはずはない,寝言は寝てから言ってもらいたい。
  3. 答え:問題自体がナンセンス。
    そもそも,完全流体というものは理想化の産物であり,その構成粒子などは考えてはいけない。等分配の法則などというのは粒子一個一個を問題にするが,そうすると必然的に粒子間相互作用で粘性が生まれるわけで,完全流体にはなりえない。このような問題設定をすることの物理的センスを疑う。顔を洗って出直してきた方がいいのではないか?
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2002/06/09