かなり前のことになるが,同僚にさそわれて,とあるイタリア料理屋に行った。実はナカムラはベトナム料理だとかインド料理だとかのアジア系が強くて,「イタ飯」はあまり詳しくないのだが,それでも食通の同僚のおすすめだけあって,とっても美味であることはよくわかった。で,食事が終わって,そのまま帰ればよかったのだが,そこのシェフ(マスター? コックさん? 親方? なんて呼ぶんだろう?)と雑談をしはじめると,これが,よくいる自慢オヤジで,閉口してしまった。東京のどこそこの建築は自分の知り合いのだれそれが設計したとか,この店の名前はイタリア語で「芸術家」という意味で,料理をつくるのも芸術だとか,いかにもありがちな自慢。
ナカムラは,プロの仕事人が自分の仕事に誇りをもっているのは大好きだが,それを声高に自慢するのは,ちょっと勘弁して欲しいと思っている。もちろん,料理が美味しかったので「どうやって修行したのですか?」などとたずねたときに,いろいろ逸話を語ってくれるのは楽しいのだが,とくにききもしないのに「私は味の芸術家です」なんて言われてもね。しかも,この手のオヤジは,この「芸術家」のような,十万人が百万回もくりかえしたような話を,さも自分だけが特別のように得意げに話す。以前,「寿司が死ぬほど美味しい」という噂の富山県のある寿司屋に行ったときも,「ウチは馬鹿正直に近海物だけあつかってますからね,それでもお客さんが来てくれるんですよ」というステレオタイプのセリフを1時間ほどいる間に5回ほど聞かされた。たしかに寿司は美味しかったけど,他にもいろいろ自慢をきかされたなあ。
それと関連してナカムラが嫌いなのは落語なんかの「芸の苦労話」というやつである。若い頃から師匠に弟子入りして下働きを一生懸命やって,芸の道一つすじにやってきました,なんてのは,聞くがわにとってみればどうでもいいことで,要は落語が面白ければそれでいいのである。わたしゃ芸の道を追求するあまりに家族をかえりみず,女房は酒に溺れて廃人同様,息子はグレて暴走族,娘は家出してシンナー中毒,それでもひたすら磨いてきたこの話芸でおおいに笑って下さい,なんていわれても笑えるもんじゃあないでしょう。
いわゆるプロフェッショナルというものは,自分の出した結果だけで勝負するべきであって,その結果についてあれこれ講釈をたれるのは,とってもみっともない。マイルス・デイビスといえば,「ジャズの帝王」と呼ばれて,今日のジャズのスタイルの半分くらいを造った(*)と言われているが,彼には「Music speaks itself」つまり,音楽についてはごちゃごちゃごたくをならべなくても聞けばわかる,という信念があって,自分の演奏に関するインタビューなどにはいっさい答えなかった(**)そうだ。プロはこうあるべきですよね。
* と書くとウイントン・マルサリスの逆鱗にふれるだろうな。それに,「アインシュタインがいなくても,他の誰かが相対性理論はみつけていた」という議論と同じ事がこの場合も言えて,マイルスがいなくてもジャズは今日ある姿とあまり変わらなかっただろうと,ナカムラは思いますが。
** 80年代に復活してからは,人間がまるくなったのか,弱気になったのか,結構しゃべってたみたいだけど。ちなみにマイルスの自叙伝はめちゃくちゃ面白いです。内容もおもしろいが,語り口もいい。いたるところに「mother f***er(3文字伏字)」がでてきて,「その女はめちゃイケてた」という意味で「She's finer than ten mother f***ers」などと書いている。
と,ここまで書いてきて,じゃあおまえはどうなんだ,ということになるが,はい,すみません,時々(よく?)自慢話します,有名人に会ったことある(*)とか。さらには「科学研究ってのはね」みたいな蘊蓄も結構語りたがる。というか,そもそも今回のページはそういう話題にもっていこうとしているのみならず,あつかましくも語りたがることを正当化しようとしているのであります。
もちろん,科学研究は料理や音楽などと違って,高尚な営みなので,それについては大いに語るべき,と考えているのではない。そうではなくて,科学(**)については「語る」ということが活動の不可欠な一部ではないのだろうかと思うわけである。たとえば,音楽で演奏の練習はするのだが,その曲を聴衆の前で一度も演奏したことがない,というのは音楽家のあるべき姿とは思われまい。ちょっと質はちがうが,科学の場合も成果を専門家だけのうちわの知識としてためこんでいても,それは狭いスタジオにミュージシャン仲間が集まってきて,演奏しあって「ああ,いい曲だね」なんて言っているのと同じじゃなかろうか?
* ロスアンジェルスのスタジオでモーリスホワイトと握手をしたのと,オウム真理教弁護団の伊藤弁護士が高校時代の友達だったのが自慢です。あと勝谷雅彦も高校の同期。冷静に考えるとしょぼい自慢だ。
** またしても,ここでは宇宙科学や素粒子論のように実用にはならない分野に限って話してます。
工学などで直接役に立つ分野では,少数の研究者しか理解していなくても,それが実用になれば大きな意味がある。しかし,役に立たない,「科学という夢を売る」分野だと,成果を人類共有の知識(大きくでたなあ)としなければ,意味ないのではなからろうか。もちろん,親の残した山を売って,研究費は全部自前でまかなってます,という人は勝手だが,みなさまの血税で研究させていただいている大多数の研究者は,なにかしら,社会に対しての還元が必要だろう。実は,ナカムラのまわりでこれを言うと,「おまえは“タックスペイヤーへのサービス”というアメリカ流の考えに毒されている」という反論をくらう。これはよくあるレトリックで,こっちの言い分のどこが悪いかについては何も言わずに,「それはアメリカの流行の影響だ」と言えば,なんとなく悪いことのように感じるのを利用しているわけだ(実は彼らの言い分にもうなずくところはあるのだが)。
話はそれたが,科学の場合,音楽や料理といちばん違うのは「speaks itself」じゃないところではなかろうか。料理は食べてみれば,美味しいかまずいか一目(一舌?)瞭然だし,音楽でも聞いてみればいいか悪いかはすぐにわかる。ひとによって,ラーメンは嫌いとか,クラシックはよくわからんとかいう好き嫌いはあるだろうし,鑑賞能力を訓練することによって,わからなかった良さがわかってくるということもあるので,量的な違いでしかないかもしれないが,とにかく,科学の場合は専門分野外の人間が,その成果を評価するのが極端に難しい。
とくに,現代の最先端の科学は細分化していて,その分野以外の人間からは内容をおぼろげながらでも理解することさえ困難だ。たとえば,以下の二つの文章をみていただきたい。
- プラズマの荷電粒子を等価的にタキオン化することにより、タキオンの法則による効果、特にエントロピーの減少と負抵抗による電力の増大効果を得る方法を提供する。
- インフレーション宇宙モデルによれば、宇宙が急激に膨張した後、真空のエネルギーが解放され、高温のプラズマ状態が作られ、標準ビッグバン宇宙モデルで期待される熱い宇宙が実現されることになります。
この二つのうち,ひとつはいわゆる「トンデモ系」の疑似科学,つまり,自分のやってることが革命的科学と盲信しているあぶないおっさんが書いたもので,もうひとつは,れっきとした国立大学(*)の研究室紹介からとったのだが,どちらがどちらかおわかりだろうか? 正解は上が
あぶないおっさんで下が
研究室紹介なのだが,両方とも同じくらいイッちゃって(**)素人にはどちらもチンプンカンプンである。
* しかし,れっきとした国立大学にも,あぶないおじさんはいるみたいです。国立大学だからといって信用しないでください。このへんの話題もそのうち書きたいなあ。
**ちなみに,上の文章に「物理法則の限界を超えた」という部分があったのだが,それで「トンデモ系」とわかってしまいそうなので,わざと削った。ちょっとズルイ。
これでいいのだろうか? よく,週刊誌の記事などで数学者を紹介するときに「この理論を理解できるのは世界でも20人もいないだろう」などと書かれてることがあるが,それって,自慢できることなのだろうか? たとえば,その20人が出席した研究会で火事があって,全員死んでしまっても(不謹慎なたとえですみません)世界にはなんの変化もないのであったら,彼らはなんのために研究をしているのだろう? それは狭いスタジオでお互いに演奏をしあうしか活動していないミュージシャンのようなものではないだろうか?
・・・というところで,続きはのちほど。最近はがらにもなく,することがたくさんあるので,また尻切れトンボのまま終わるのではという一抹の不安もあるが・・・。
短信:
- そうです。前回,無責任にも話題を途中放棄したわけですが,最上さんという方から以下のようなお便りをいただいた。
さて、「初登」に「みなさんの興味も失せたような気がするので,とりあえず,新しい話題にいきましょうか。」と書いてありましたが、私は「クマに学ぶ数学基礎論」への中村さんの反応を楽しみにしていたのですが・・・・
ををををっ,そうであった。クマさんにせっかくいろいろ教えてもらったのに,その後,ナカムラの反応を書くのを忘れていた。クマさんすみません。さらに最上さんは,
話が脱線しますが、量子力学は波動関数という形で古典力学よりもたくさんの連続自由度を使うくせになにか本質的に離散的な性質をもっているらしいことは前々から気になっていて、「クマに学ぶ数学基礎論」で出てきた、
というわけで、タダスちゃんの言う<量子力学のオブザーバブルは加算無限個しかないような気がする>ちゅうのは興味深い。ひょっとしたらこの世界は連続体なんか無しで済ませられるんちゃうか、とか。
というフレーズはとてもエキサイティングでした。このあたりの話をもっと詳しく聞きたいと思っています。
とも。(引用の引用があって,読みづらいですね。)そうです。ナカムラも漠然と連続体なんていらんのかも,と思っているのですが,これについてもまだ書いてない,書かねば。ナカムラもっているネタは,実はごくごく素朴な考えなので,クマさんとか最上さんとか,それから興味をもった他の人に議論をしていただけるとうれしいです。(それには早くネタを書け!)
- 実はこの最上さんは,今は脳の研究をなさっていますが,過去に素粒子の研究もなさっていて,量子力学パッパラパーのナカムラはいろいろ教えてもらってます。あきっぽいナカムラは,こうやって“ホームページ”に雑文を書くのも,始めたころほど興味ががなくなって,更新も途絶えがちになっていましたが,専門家に教えを請うことができるというような実益もあるというのは,とってもありがたいことで,おろそかにできませんね。じつは,前回あの文章を書いたときも,読んだだれかがなにか教えてくれないかな,という淡い期待があったわけですが,まんまとひっかかった最上さんにはお気の毒。
- 実益といえば,前回に書いた電磁場の解析力学の話を読んでいただいた,物性研究の編集長の早川氏から,このネタで記事を書かないかといっていただきました。なんて無謀,いやもとい,大胆な。だって,ナカムラみたいなチンピラ研究者がやってる専門外の計算なんて載せていいんかいな。最後に結論として「電磁場のタキオン化理論を確立した」とか書いたらどうするつもりだろう。(しかし,「間違ってないことがわかったらお願いします」と答えたナカムラの姿勢も蛮勇と言ってよかろう。)
- そのネタをちょこっとメモしたPDFですが,いま見ると間違いだらけですね。「^」の記号を忘れていたりとか,係数・符号がちがったりとか。そのうち(っていつになることやら)ちゃんと訂正します。でも,いまのところ大筋は合ってると信じております。ちなみに,この計算がうまくいく --- とナカムラは思いこんでる --- のは,微分形式を使っているというのが本質ではなく,時間と空間を平等にあつかっているためだと思ってます。微分形式を使うのは思考労力の節約のためで,普通のベクトル解析でやっても,めちゃ鬱陶しいけど同じ結果はでるはず。
- 再販されたヌスラット・ファテ・アリ・ハンの「Masic Touch」買いました。秀逸ですね。音楽の話です。これのプロデューサー,バリーサグーが河内家菊水丸を使って録音したというアルバムを聞いてみたい。関係ないけど,この夏ハノイに行ったときには「河内大酒店」というホテルに泊まりました。ハノイって中国語で書くと「河内」なんですね。
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