あおのり
 ふと,インスタントやきそばを食べたくなることってありません? と書き始めて,ちょっと不安になったのは,最近,一緒に山にいった(*)友人から「インスタントやきそばってなんですか?」と訊かれたからである。現代日本で生まれ育って“インスタントやきそば”を知らない人が,それほどいるとは思えないが,一応解説しておくと“インスタントやきそば”とはインスタントのやきそばである…そのままやんけ。まあ,インスタントラーメンのやきそば版と思っていただければ,それほどまちがいない。しかも,ここで話題にするのは,カップに入ったUFOのようなやつじゃなくて,袋にはいった古典的なやつである。ま,どっちでも話の大筋には関係ないけど…。
 ナカムラは学生時代,山に行ったり金がなかったりしたときに,インスタントラーメンよりも,このインスタントやきそばを好んだのであるが,最近はあまり食べなくなった。それでも,2月にいっぺんくらい,なんとなく食べたくなることがあって,近所のコンビニで買ってきたりしている。いつもはしょうもないジョークばっかり言っていて鬱陶しいやつだと思っていても,しばらく会わないと,ちょっと淋しいというような友人に似ている。とくに美味というわけでもないし,毎日食うと絶対にいやになるのだけれど,って感じ。やすべえのホルモン焼きみたいな感じかな(って言っても福井市在住の,その中でもごく一部の人にしかわかりませんね)。

(*) ひさびさに谷川岳・一の倉沢に行ったのに,天気が悪くて敗退してしまった・・・。テールリッジにザイルがフィックスしてあるという噂をきいたけど,ナカムラが行ったときにはありませんでした。

 で,そのインスタントやきそばを食べるときに,往々にして問題になるのが青ノリである。食べたことのある方はご存じだろうが,インスタント焼きそばには2センチ角くらいの小さな袋に入った青ノリのふりかけがついてくる。チープなジャンクフードについてくるチープな添付物なので,とりたてて美味しいわけじゃないし,ナカムラは青ノリが大好きなわけでもないので,ついてこなくても全く問題ない。しかし,特に嫌いではないので,できた焼きそばにそれをふりかけて食べることにも,また,全く問題はない。
 問題なのは,食べ終わったときに,その青ノリの袋を見つけて「げげっ,しまった,青ノリかけるの忘れた!」と思ったときである。なんだかすごく損というか,無駄というかをしたような気がするのである。そんなことってありません? 自分が当然享受すべき正当な権利をみすみす放棄してしまった,しかも,いま,手元にむなしく残る青ノリをどうしよう,これだけ食べるわけにはいかないし,次にやきそばを食べるときまでとっておこうにも,それは何日先かわからない。そもそも,次のやきそばには次の青ノリがついているわけで,次の青ノリをさらに次の次にまわして,というふうにn回目のやきそばについてきた青ノリをn+1回目に食うわけにもいかない。いや,青ノリを忘れるというのが確率pで起こる事象だとすればn回目までにはnpの青ノリが余っているわけで…などと考えるときりがない。かと言って捨てるのはもったいないし。
 結局,ナカムラはその青ノリをどうするかというと,なんとなくその辺に置いておくのである。そうすると不思議なもので,気づかぬうちに青ノリはどことも知れず拡散していって,それと同期してナカムラの心のなかでも青ノリに対する鮮やかな感情が色あせていって,心の平静を取り戻す。そして,しばらくたって部屋を大掃除とかしたときに,ソファの下あたりからひょっこり青ノリの袋を見つけるわけだが,その頃には捨ててしまっても心が痛まないくらいに古びているので,良心の呵責無くゴミ箱へ,とあいなるわけだ。こうして冷静に考えると,青ノリにしてみればとっても残酷な仕打ちで,はじめからさっさとゴミ箱に行く方がまだ幸せかもしれないけれど。ペットを飼い続けるのにあきてしまって,でも殺すのはかわいそうだからっていうんで,捨ててしまって,結局自分以外が殺すことになるのを待ってるエセ動物愛好者に通じるものがあるかも。反省,つぎからはすぐに捨てます。

 こういう「しまった,青ノリわすれた!」みたいな話をすると,うんうん,それってよくわかる,と言ってくれる人と,なにそれ,べつに欲しくもないなら捨てりゃいいじゃん,という人にわかれますよね。で,うんうん,と言ってくれる人になんとなく連帯感を覚えたりする。それはともかくとして,多分,ナカムラの中で他にもこの青ノリ的心理構造によって,「しまった!」と思うことがあるのに最近気が付いた。
 実は,ちょっと前になるけれど,鈴木さんのウェブページを見て,「白夜の国にいるイスラム教徒は,ラマダン(断食月)のときにどうするのか」という問題についてお便りさせていただいた。最近のアフガン関連のニュースでラマダンについては有名になったが,この断食月の間は日の出から日の入りまで食べ物を口にしてはいけないことになっている。今年のラマダンはご存じのように今のシーズンだが,イスラム暦は太陰暦で,月は一年とシンクロしていない,ということは年によっては真夏がラマダンになることがあるのだ。じゃ,アラスカやスウェーデンみたいに夏に日が沈まない国のイスラム教徒は一ヶ月間もなにも食わないのか,というのが問題で,答えは,たとえば朝6時から夜6時までという風に,自分で規範をきめればいいそうな(*)。また,病気や旅行中の場合は断食をする必要が無く,そのぶん,貧しい人や困っている人を助ければいいとも。イスラム教って実は結構合理的なんですね。
 この話を鈴木さんにメールでお知らせしたのだが,次の日,鈴木さんのページを見ると,その話題を紹介していただいているので,ちょっと嬉しかった (なんか,ラジオ番組にリクエストはがきを出して読まれた気分)。ところが,そのときに,「朝6時から夜6時までと規範をきめればいいそうです。」とメールに書いた後に「ナカムラがイスラム教徒だったら午前11時から午後1時までとかにきめるでしょうね」という一文を付け加えればよかった,とふと思ったのである。これって,青ノリといっしょで,とくに面白いジョークでもないし,青ノリがそれだけでは食べられないように,このネタだけで,鈴木さんにまたメールを出すわけにもいかない。ああ,でも誰かに言いたい。かといって,別のシチュエーションでこいつをカマす機会が訪れるのは,次にインスタントやきそばを食うよりもはるかに先の話だろう,青ノリのように気になる…というわけだ。

(*) イスラム教って言っても,国によっていろいろ違うから一概には言えないが,これはインドネシアのイスラム教徒から聞いた話。

 こういう経験ってありませんか? たとえば,友達からの電話を切った瞬間に「ああ,このジョークをカマしておけば良かった,でも電話かけ直すほどじゃないし」とか。きっと田崎さんにはあるだろうな。
 実は,ナカムラはここで書いている文章については,一度書いたら「テニオハ」や感じの変換ミス,じゃなくて漢字の変換ミスを訂正するという以外,なるべく手を加えないようにしている。もし,後から記述に間違いがみつかった場合などは日付をつけて「附記」みたいな形で訂正している。これはとくに強い理由はないけど,なんとなくその方が公にしている文章みたいな漢字,じゃなくて感じ(しつこい)がするでしょ?
 しかし,これには例外があって,ここの「暴走族上がりのプログラマが四露死苦」うんぬんの部分は,全体を書いて公開してからすこしたって,ふと思いついて,「ああっ。どうしても書きたい!」という誘惑に逆らいきれずに,原則をまげて加えてしまったのである --- だって附記とかいう形で「四露死苦」みたいなジョークを書くわけにもいかんし。しかし,いま見ると面白くもなんともないですね。やっぱり青ノリみたいなもんか。でも,この四露死苦ネタは結局書かれて公開されたので,闇から闇へ消えていった青ノリよりも幸せである。と,考えると,上のイスラム・ラマダン・ネタは…これだけで一ページ書いてしまったんだから,望外の幸せ!


短信
 ナカムラは「牧野の公開用日誌 -- つっても、非公開のを別につけているわけではない」も愛読しているのだが(最近では11月9日の「可能かというと不可能だと思うが、、、」が大ウケ),先日,福井で研究会をやったときに,同じサイトのここを参考にさせてもらって,まあ,クロワッサンはないけど,ちゃんとインスタントじゃないコーヒーも用意したし,準備万端OK,と思っていた。しかし,当日のポスターセッション開始30分前に「ポスター用の画鋲を忘れた!!」という大ピンチ陥って,福井市内を画鋲をもとめて車で彷徨する羽目に。まきのさん,よろしかったら「画鋲も忘れないように」って加えておいてください。
 ところでまきのさんはナカムラの高校の後輩であることが発覚してしまった (10月10日の公開用日誌参照)。やっぱりまきのさんも高校をさぼって「喫茶カーネーション」でスペースインベーダーとかやってたのだろうか? サッカー部のゲンジローとか知ってますか?

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2001/11/13