ちょっと短いですが,とりあえず書いておきます,というページです。 タイトルが意味なしなのはあいかわらず。
明らかな問題点を指摘しても直してこない人。これ,ナカムラの業界にもかなりいます。
たとえば,よくあるのは,「ラーマー半径が大きすぎてMHD近似はなりたちませんよ」というやつだが,それを指摘しても「まあ第ゼロ近似としてはこれでも,うにゃうにゃ」とかなんとかいって,また別の場所で同じような発表をしていたり。でも,それが第ゼロから第一次近似にすすんだという話は,とんときかない。ほかにも,とあるモデル計算について,欠陥を示す事実を指摘したら「I don't like it」で片付けられたこともある。
たしかに,「耳をふさぐ・逃げる」という人は「研究というものに向いてない」わけであるが,ある意味で職業的研究者というものには向いているメンタリティかも。「I don't like it」の人も,ビジネスとしての研究はうまくやってたもんなあ。
はなしかわって,最近,オリンピック関係でドーピングが話題になってますが,もし研究者向けドーピング薬が開発されたら,どうします? 「これを飲むとあなたもアインシュタインになれます。ただし,濫用すると10年後には廃人同様になるかも」ってなやつ。
「ドーピング薬」って,なんか重複が重なっているような言葉ですね。
このニュース。「ごめんね」というのが,なんともいえずよい。
げげっ。ここにあるカラマゾフ兄弟の紹介:
この小説は、「神の存否」という重いテーマをはらみながら、富と女を握った独裁者である父親を息子たちが殺す物語である。しかし父を殺すと、息子たちは父の偉大さを知る。父はたんに息子たちを支配していたのではない、息子たちの争いを抑え外敵を抑え、いわば治安を維持していたのである。そうなのか!? ナカムラが読んだ話とはぜんぜんちゃうぞ。 それに続く文:
そしてこの一文は「ブッシュ政権はカラマゾフの兄弟を読んだことがあるだろうか」とたたみかける。こっちがたたみかけたい気分。
ちなみにこの早野氏というひとのコラムはいつも突っ込みどころ満載で,頭の悪い朝日系文化人の見本みたいということで,一部では有名らしい。
ナカムラの住む福井市は,一昨日(2004年7月18日)に足羽川の堤防が決壊して,洪水に襲われました。何人もの方から,ナカムラの安否をお気使いいただきました。ありがとうございます。ナカムラの住んでいる公舎および勤めている大学は無事です。被害にあわれたかたにはこころよりお見舞申し上げます。
最近,このページを更新してませんが,近日中にまた再開します。(つもりなんですが…。)
これ,どこに載っている文章だと思います?
なんと,れっきとした学術論文 [Amer. J. Phys. vol 35, 83 (1967)] のイントロダクションの一部なのです。なんてファンキーな。Just a pity --- or good luck --- you weren't here. Never seen such enthusiasm before! I was almost choked to death by fans trying to get a pice of my tie ... well, anyhow, I was lucky enough to save a piece of my tie for the museum.... You never liked green ties? You prefer yellow ties? ... Oh, come on, what do you mean we still have the yellow tie? ... Oh, no!
日本語訳: まあ,君がいなくて,残念というか,ラッキーというか。あんな大騒ぎははじめてだよ. このネクタイ目当てに殺到するファンに,あやうくしめ殺されるかと思ったもんな。まあ,ネクタイが無事で博物館に寄付できるのはよかった。… あれ,緑のネクタイは嫌いなの? … それは黄色? げげっ,なんてこったい,まだ俺達二人とも黄色のネクタイをしているのか?
持ち時間12分の学会発表をはじめようとしているときに, これ(下の方にあるスワップ領域がこわれること) が起こると悲惨でっせ〜。ナカムラはそれ以降,発表のときにはswsuspendを使わないようにした。
以前に書いた 大谷・中村理論に予想外の反響をいただいた。多くの方は,残された自分の人生が以下に短いかを知って,驚きあわてたようである。まあ,シャレでんがな,あまり真面目にうけとめないように。
で,思うのだが「あなたの人生の8割は終りました」と言われて,やっぱりほとんどのひとは「げげっ。それわ大変!」とネガティブ受け止めるのであろうが,これって,人間は最終的にオプティミストであるってことじゃなかろうか? いま,めちゃめちゃ不幸な人生を送っているひとでも「ああ,やっと8割終ってくれたか。でも,あと2割生きるのはしんどいなあ。」とは考えないらしい。まあ,そういうひとはとっくに自らこの世とオサラバしているのかも知れないが。
たとえば,「若者のキミには無限の可能性がある」と言ったときに,それは素晴らしいことのように受け取られるが,無限に堕ちていく可能性だってあるわけで,期待値ゼロかもしれないではないか?
でも,期待値ゼロのものにでも,そうやって漠然と期待をいだいて生きて行けるってことが幸せなのかも。そういう幸せをいれると期待値がわずかにプラスにふれるのかも知れない。(なんとなく再帰的というか,自己言及的というか…。)
ちょっと思い出したこと。学生時代にとある先生が言っていたのであるが,研究者たるもの,自分の研究について尋ねられたなら
ついでに思い出した。同じ先生が言っていたのであるが,基礎科学の論文には3種類しかない。
レフェリーレポートとか,学会のアブストラクトとか,もろもろの書類とかを書かなければならないので,現実逃避モードのナカムラでした。
サツマイモは鹿児島に行くとリュウキュウイモと呼ばれているそうだ。では沖縄ではなんと呼ばれるかというと,カライモ。カラとは唐のこと。
同様の話題で,ウイーンにはウインナーコーヒーはないし,天津には天津飯はない。アメリカンコーヒーもアメリカにはないらしく,日本で売っている「アメリカンコーヒー」をアメリカ人への土産にすると大受けするそうだ。
しかし,なぜ,日本には「日本茶」があるのだろう? 不思議。
もうひとつ,最近気になった不思議は「天然記念物」。何を「記念」してるのだ?
話しは変わって「永遠のモータウン」って映画観ました。CoolJokeのドラム担当斉藤氏のお勧め(2002.04.21参照)で知ったのだが,メチャ良かった。「Cool Jerk」も入っていたな。
そのCoolJokeですが,ついにメジャーデビューでCD出しました。是非買ってください。(ナカムラの勤めている福井県立大学出身のバンドなんです。)
最上氏の日記にあった
新規なアイデアに対して人間は、その内容を理解してから、それが正しいことを確信するのではない。正しいことを確信してから内容を理解しようとするのだ。は至言と言えよう。さらに,「間違っていることを確信してから内容を理解しようとするのだ。」ということもあるような気がするなあ。たとえば,槌田敦氏の本なんかそういうつもりで読んだ。友人の読書家で「大江健三郎はつまらない」と言えるようになるために大江健三郎の本を結構読んだってやつがいるけど,似ているかも。なーんちゃって。
イラク人質事件で,いろんなウェブサイトにいろんなひとがいろんなことをたくさんたくさん書いている。で,ナカムラの考えるようなことはたいがいどっかに書いてあるんだが,疑問に思ったのは「自作自演」という言葉が,かなり広く使われていることである。これって正しくは「狂言」とかじゃないのか? 「自作自演」ってのは,多分2ちゃんねる用語だろうが,それがこんなに影響力あるんですね。(というのも実はどっかで読んだような気が…。) ところで,2ちゃんねるで言うところの「自作自演」(匿名掲示版で,一人の人間が多数の人間のふりをして,書き込みの応酬をすること)ってのも,言葉のオリジナルの意味からずれているような気がする。「なりすまし」とか「一人芝居」とかの方が近いんじゃなかろか。
近年,大学の独立行政法人化などに関連して,任期制導入や外部評価の議論が活発である。ナカムラも公立大学に勤めているのでひとごとではないのだが,今月(2004年4月)の岩波「科学」経由で,九州大学の任期制に関する文章を読んだ。任期制には反対ではないが,いきなり全ポスト任期制はちょっとなあ,などと思って読んでいるうちに,以下の文にいきあたってのけぞってしまった。
そうすれば、何パーセントかの人は必然的に首を切られることになります。このような任期制の導入は、大学教官という職業を魅力のないものにしていくものと言わざるを得ません。つーことはなんですか,「大学教官という職業の魅力」って,何十年も研究をせず,論文を書かなくてもクビにならないってところなのですか?
下に書いたMac OSX のウイルス(正確にはウイルスじゃないそうですね)の件ですが,おんなじようなことを思う人は結構いるんですね。
このページにある調査の結果を無条件に「職場環境の変化」に結びつけていいのだろうか? たとえば,「3年前より給料はあがりましたか?」という質問に,圧倒的多数のひとが「はい」とこたえたという調査をもとに,「日本の給与水準があがった」と結論したらアホだろう。人間,歳をとるにつれて,職場への不満が増えるのは十分考えられる。
それから,その下にある「チェックシート」だが,これって,どんな裏付けがあるのかなあ? この手の「***度チェックシート」なるものはよく見掛けるけど,どんな基準で質問を選んでいるのかが不明だし, その解答結果から導く結論の必然性がどれくらいあるかもはなはだ疑問だ。
はなしは変わってOS Xのウイルスがみつかったそうですね。ナカムラもOS Xを使っているので,こまったことだわい,と思う半面,ちょっとうれしかったりする心理がないでもない。売れない芸人が写真週刊誌にスキャンダルを暴露されたときに近いものがあるのかも。
前に
メロトロンの話題を書いたら,「ビートルズもストロベリーフィールドで使っている」とか「メロトロンといえばリック・ウェイクマンを出して頂かないと」などというお便りをいただいた。リック・ウェイクマンとくると,次はPFMだろうか。どうも,われわれの世代のロックファンはメロトロンというと反応するようだ。たぶん,以下のチェック項目のすべてにあてはまる方もいるのでは?
わからないひとにはまったくわからない話題ですみません。
ああっ。4月1日があと数時間しかのこってないのに,これぞというウソを思い付かない!
ま,いいか。いつもデタラメばかり書いているんだし。今日のところはウソを書かずに帰ります。おつかれさま。
‥‥と書いて帰ると,この4月1日分にウソはあるのだろうか,ないのだろうか?
進化経済学会なるものが,ナカムラの勤めている大学であったので,もぐり込んで話をきいてきた。経済学の難しい話はわからなかったが,マルチエージェントモデルのような数値シミュレーションは,計算機科学という共通項があったので,なかなか面白く聴けた。
シミュレーションの結果に対して「そんなんもん、わざわざ計算機つかわなくても、あたりまえの結果やんけ」とつっこまれて立ち往生するやつ。
壮大なシミュレーションモデルについて得意げに発表するも、基本的な大前提がまちがっていることを指摘されて、狼狽しまくるやつ。
「複雑系」「自己秩序形成」「マクロとミクロの相互作用」などというキーワードがわけのわからないままでてきて,やっぱりわけわからん発表。
「時間が押してますので、短い質問を一件」と座長が言っているのに、質問の体裁をとりながら延々と自説を開陳するやつ。
ウルトラハイパー現実離れなモデル。
基本事項の説明なしに数式を書きまくったOHPを連発しながら,加速度的に自分だけの世界に入っていくやつ。
「進化経済学」といいながら,自然淘汰とか遺伝子とかいうキーワードが出て来る話は,かなり少なかった。学問の線引きに,研究者側の事情が多分にあるのだろうか?「進化経済学のすすめ」というチュートリアルトークがあったが,はじめの歴史紹介の部分を除けば,そのままの内容で,たとえば「複雑系社会学のすすめ」というタイトルにしても違和感ないような…。
上のように書くと,なにやらネガティブな印象を与えるかもしれないが,面白い話も結構あって楽しめた。なによりも,分野がまだ若くてなんでもあり状態なのがうらやましい。
松浦氏の日記の2004年3月24日を読んでいて,最後の
「やっても無駄だ」と考えた瞬間、どんなに容易なことも出来なくなる。 先入観を捨てて白紙の状態から考えるのは大切なことだ。の部分で,メロトロンを思い出してしまった。
いまのようにシリコンチップでなんでもできるようになる前の1960年代に,ストリングスなどの音をサンプリングして鍵盤楽器にするには,鍵盤ひとつひとつに録音テープをつければいい,というのは誰でも思い付く。しかし,それを本当に作ってしまった根性には感服するなあ。まさかそんなもん,できるとは思わないし,実際にできた楽器は不安定で使うのにめちゃくちゃ苦労したそうな。たしかキングクリムゾンのロバートフリップが「メロトロンはまったくの悪夢だ」みたいなことを言っているインタビューを読んだ憶えがある。
しかし,そのメロトロンなしには,絶頂期のビートルズをトップチャートから蹴落とした奇跡の名盤「クリムゾンキングの宮殿」は,存在しなかったに違いない。
それと,もうひとつ連想したのは,全然ちがう話だが最近の話題で「オレオレ詐欺」。これも,だれでも思い付くが,本当にやってみたやつは偉い。(悪い奴には違いないだろうが。) だって,電話に出たバアサマを「オレだよ,オレ」でだませるとは,だれも思わないよね。
でも,「やっても無駄だと考えた瞬間、どんなに容易なことも出来なくなる。」というのは正しいが,逆はかならずしも真ならずで「やっても無駄だと考えた瞬間がなければ、どんなことでも出来る。」というほど,世の中は甘くないよね。ナカムラの知っている研究者で,「新しい発想で装置をつくる」とかいって,高校生でも思い付くようなチープなアイデアでチャレンジする人がいる。そしてやっぱり予想通り失敗ばかりするわけだが,それが普通の凡人なんだろう。
先日,Stonesの話題を書いたが,もしあなたが:
先日の文章の最後に,何気なく「全然関係ないがローリングストーンズのKeith Richardの本名はKeith Richardsだそうだ。」と書いたら,東北方面の姉御から,さっそくお叱りのメールをいただいた。
キースリチャーズをキースリチャードなどとという奴はいままで聞いたことが無い!!Roger Taylor とSteven Tyler の姓を間違えるくらいすごいことだ。「Art Garfunkel はArthur Ira "Art" Garfunkelだそうだ」とかのほうがまだ良いのではないのか?ふっふっふっ。甘いな,あねさん。キース本人が「Richard」と名乗っているのだよ。(こことかここを参照。) しかし,Taylor とTylerは区別ついてませんでした。そいうえば,最近,山形広報部で リサ・マリーとリサ・マリー・プレスリーの違いなど,話題になってましたね。ナカムラが今思い付くのはクラーク・テリーとテリー・クラークとか,ビル・エバンスとギル・エバンスとか。ビル・エバンスって二人いるし。
同様に以前に書いた「はてなダイアリー」についての御指摘について。お忙しそうなので,こちらも簡潔に!
情報感謝,趣旨概理解。猶残読者不便感。
文章似新聞一行広告,日当良好駅徒歩三分等。
下に書いてある「悪魔の誘い」について,宇宙プラズマ業界にこの人ありと言われるMac伝導師のK氏から以下のような福音をいただいた。
画面切替ワザはF9〜F11を押すというのは単にデフォルトで、マウスをコーナーに持っていくことでもできるように設定可能ですよ。をを,ありがたや。
ということで、純血なるMac信者にも福音となる機能であります。
しかし,デフォルトがファンクションキーという邪悪な設定になっているのはどういうことだ? いや,これは荒野でキリストを誘惑した悪魔のようなもので,実は深遠な神の意志なのか。しかし,Linuxという邪宗門に下ってホイールマウスを使いまくっている破戒僧ナカムラには,その福音も届くまい…。
その次に書いてある周期境界囲碁の話も,リーマン碁じゃなくてディラック碁だそうです。
最近,ひとさまの日記がネタのコメントがおおいが,牧野公開日誌経由で読んだ専門家は個人の責任で情報発信するなというのに,なにか書こうと思っていたら,各方面から大量に反応があったようで,だいたいナカムラの考えそうなことはどっかに書いてあるみたい。(反応の内容については上のリンクから日付を下がってみてください。)
ということで,この件はパスして,「きみ、まだ Panther にしてないの? ちょっと遅れてない?」について。すんません,ナカムラはちょっと遅れてます(Jaguar)。しかし,F9やF10などという邪悪なキーを使って画面切替えをするのはMac原理主義者にあるまじき堕落ではないか? 真のMac信者にとって,コマンドキーによるショートカットと,マウス,それもホイールなんて醜いものはついていないワンボタンマウス以外の操作はすべて悪魔の誘いなのぢゃ。
といいながら,ナカムラは最近,書いたり読んだりの仕事にはLinuxを使ってます。Macはオーディオ兼Webserver兼遊びにきた学生用になっている。みなさんにアクセスしてもらっているこのページは実はiMac上にあります。で,外からLinuxを使ってこの文章を書いている(もちろん2ボタンマウスのホイール使いまくって)。なんか倒錯。
ところで,単に周期境界にするだけでは,ユークリッド計量のままなのでリーマン囲碁とは呼べまい。やっぱり,周期境界を一周してもどってくると縦と横がいれかわっているくらいじゃないと。
土星探査機カッシーニが捉えた、以前にも増して美しい土星のカラー画像について。これ,以前に「美しい土星のカラー画像」というニュースがあって,それよりも土星に近付いたから,さらに美しい映像がとれたってことで,こういうタイトルにしたのだろうが,それって危険じゃないか? だってカッシーニはこれからどんどん土星に近付くわけで,そのたびに「さらにもっと美しい土星のカラー画像」とか「美しい土星のカラー画像:Revolutions」とか,前回を凌駕するタイトルを考えなくちゃならないわけで…。(前に同じようなこと書いた記憶があるが,なんだったか忘れてしまった。)
ここの最後の周期境界ネタ。ナカムラは以前,周期境界将棋というのをやったことがあります。Double Periodic(つまり,縦・横とも周期境界)にすると,先手をとったやつが王を下げて,一発で勝負あり(あたりまえぢゃ!)なので,左右だけ周期境界にした。ナカムラもその相手も,定石をひとつも知らないヘボプレーヤーだったが,うまい人がやるといろいろと面白いことがあるのかも。周期境界囲碁とか周期境界オセロとかはどうだろう。
下の「1から100まで足すと550」説について,兄貴から「そんなもん,教えた憶えないぞ」というメールが来ました。兄貴の名誉のためにお詫びして訂正します。だとすると誰から教わったんだ?(←どうしてもだれかに責任転嫁したいようである。)
このページになってから「まきの率」が高いが,そのまきの氏の公開日誌からリンクされていた日記(2004/1/28)について
ここの「タコマ橋」について。ナカムラが小学生のころ,この話をきいたときは「タコマ吊り橋」と言っていた。少年ナカムラは長いあいだ,それを「タコ祭橋」だと思ってました。毎年,タコ祭の日になると,地元の善男善女がタコの衣装をまとい,この橋の上で踊り狂う図とか想像して。やっぱりアメリカにはファンキーな橋があるんだなあって子どもごころに思っていた。
ついでに次の日の1から100まで足す問題。少年ナカムラは,これを550だと信じて疑わなかった。だって,1から10までが55なら,100まではその10倍でしょ? 友達にも自慢げに教えまくっていた記憶がある。(もともとは兄貴に教わったような記憶が…と責任転嫁)
話は全然かわってはてなダイアリーの話題。このサイトの日記とかを見ていただくとわかるが,多くの単語にリンクがはってあって,その言葉の解説がでてくるようになっている。これって,S/Nが悪くなって,かえって不便だなあ,といつも思っていたのであるが,これだとキリスト教も「陰謀論」にならないか?
ということでここの9つめにある話題について,直接メールで教えていただいたり,黒木掲示版のここから始まる論争を読んだりして,なんとなく様子は見えて来たような気がします。
で,その掲示版の牧野氏のコメント
「自己重力系では普通の熱力学が成り立たないとかエントロピーを拡張する必要があるとかいう気が狂った主張の論文が次々に現れて頭を抱えています」とか,そのふたつあとにある田崎氏のコメント
「自己重力系だと普通の Gibbs 分布とかは使えないから Tsalis (←つづり?)統計をなんも考えずに使うとほほいのほい」というのをみると,ちょっと前にナカムラが書いた
「われわれの標準装備になっているデバイスとは別のなにかを開発しなくてはいけない感触がある」というのが,まさにそういう新しもの好きの安易な路線ではないかと思われる方もいるだろう。うーん,なんて正しいんだ。
しかし,「普通のGibbs分布とかは使えないから」などという路線にも,安易な考えではなく,真剣にとりくんでいらしゃる方もいるだろうし,もう少しこの分野を勉強してみないとナカムラには論評できないであろう。したがって,自己重力系業界にかぎらず,標準装備云々のあとにナカムラが書いた「お手軽研究」がどうのこうのというのに気分を害されたみなさん,それはあなたのことではありません。というか,あれはナカムラが自分の業界を念頭に書いたことで,あなたの業界では事情は別かも知れません。
しかし,そういうあなたでも,「お手軽研究」が世に蔓延しているのは同意いただけると思います。そして,問題なのは「研究職ってのはそんなものさ」みたいな若手が再生産されつづけているということも。
ところで,ここで誤解されては困るのだが,ナカムラが若手研究者に「お手軽研究なんかしないで,真剣にものを考えたまえ」というとき,「誠実に研究をやっていれば,必ずむくわれるから」なんていうつもりはさらさらない。世のなかそんなに甘くないのである。たぶん,その手の研究をやっていると就職なんかもめちゃめちゃ不利で,業界に生き残れず,ポスドクを4年くらいやって闇から闇へ消えて行く可能性が非常に高い。まあ,それでもよいではないか。科学という名の美しい殿堂のヒトバシラとして,歴史にも残らず幸せも知らずに消えていくのもまた人生である。(もちろん,ひとごとだと思って書いてます。)
話はぜんぜんかわるが,牧野氏の先輩でもある増井氏の日記の2004/02/14,17番目の記事で
「このトンネルはどういう意図で作られたものなのかよくわからない。 」。というのがあるが,福井のような県に住んでいると察しがつく。土建屋をもうけさせるためにつくられたのである。この問題の出題者は,そういう社会の裏の仕組みまで読むように意図していたのであろう。
ここ (2004/0208) の記述について思うこと:
うーん。確かにナカムラはこの研究会でちょっと聞きかじったことを元に,エラソウなことを書いてしまったかも。もうだいたいわかっちゃってるんですか? たとえばわれわれのプラズマの分野では,「なぜ無衝突なのにMaxwell分布になるのか?」という根本的大問題がプラズマ物理誕生の1927年からいまだに未解決なのだが,ナカムラのいう「本質的な問題」というのはそういうやつです。
で,自己重力系の場合はデバイ遮蔽がないので,無限一様のような単純化もできなそうで,ほかにもいろいろややこしいこともありそうで,さらに話は難しくなるというのが印象である。
それから「新しいなにかを持ってくれば理解できる」というのは,ナカムラの中では「甘く見る」というのとは反対で,そういうデバイスの開発はめちゃ大変で,チャレンジングだと思っているのですが。でも,考えてみると「新しい何かが必要」というのは客観的な判断ではなく,「その方がかっこいい」というスケベ心的な希望のような気もする。そういう意味では「甘く見」てるのかな。
先週は金曜まで東京にいっていました。目的はここにあるように研究会への出席と,ここにあるように田崎邸で「しょうもないジョーク」を連発すること。
研究会はいろいろと勉強になりました。ナカムラの専門とはちょっとちがう分野なので,ほとんどが初対面のひとでしたが,みんな親切でいろいろと教わりました。自己重力系というのは奥が深くてプラズマより難しそう。多分,Botlzman-Gibbsとか,Maximum Entropyとか,われわれの標準装備になっているデバイスとは別のなにかを開発しなくてはいけない感触がある。でも,それがTsallis統計だったりしたら,ちょっと面白くないなあ。
セッションのあとに懇親会でポスドクの研究者と話していたのだが,そういう本質的な問題を考えていると,諸先輩から「そんなことをしてると就職ないぞ」などと御親切なアドバイスがあるそうである。これはうちの業界でも同じで,既存の理論を組み合わせて観測結果の細部を説明するような,お手軽な仕事を大量にやらないとなかなか生き残れない。
しかし考えてみるに,そういうお手軽理論をやったやつがお手軽にポストにつき,さらに後輩にお手軽研究を薦めるというサイクルは非常に危険じゃないか? てゆーか,もうそういうサイクルに陥って久しいような気もするが。
ナカムラはもちろん,「就職なんか考えてもしょうがない。やりたいことをやるべし。死して屍ひろうものなし」というアドバイスをする。みなさんは「でも,ナカムラはもう定職についているから,そんなことが言えるのだろう。無責任なやつだ。」と思われるかもしれないが,ああっ,なんて正しいんだ。
話し変わって,田崎邸では夕食をごちそうになりました。ハルマキがおいしかった! 帰ってから田崎氏に出したメールの一部:
ご家族にもよろしくお伝えください。とくに御子息にはナカムラもときどきはジョーク以外の話をすることもあるようだと,お知らせください。
翌日は学習院で田崎,Raphael, 高麗氏と学問的な話。まれにはジョーク以外の話もするのである。ナカムラの研究課題について,いろいろと教えてもらう。話をちょっと聞いただけで,まったく馴染みのない業界の問題に的確なコメントが帰って来るのはさすが。有意義な一日でした。
その有意義な一日の終りに池袋のスポーツバーで友人と飲んでいると,そこにいたイラン人から「お前は本当に日本人か?」ときかれた。東南アジア顔のナカムラにはよくあることですがね。 (福井で日本人に「日本語御上手ですねえ」と言われたときは「ええ,日本に長く住んでますから。」と答えた。)
翌日,福井に帰るまえに山道具屋に寄って山スキーのブーツを買った。試し履きをするときに,店の人の前で履いている靴を脱ぐと,靴下の色が左右で違っていた。はずかし。
福井に帰って来てみるとすんげー雪で,車が雪ダルマになっていました。
ところで,お気づきの方もいるかもしれませんが,改ページしました。ついでにこんなものも書けるようになった。