Feb 10, 2005

「相対性理論はやはり間違っていた!」はやはり間違っていた!

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例の相対論間違ってる説に関してだが、最近コメントがなくなってきて、あんまり引っ張ると忘れ去られそうなので、とりあえずナカムラが正解と信じるものを書いておきます。間違えてたら教えてください。まだ自分で考えたいという方は以下は読み飛ばしてください。


以下では棒が静止している系を S 、動いている系を S ' と呼ぶ。ひとつの答えは、 S から見た棒と S ' から見た棒とは別の物理実体というものだ。つまり時間がちょっと違う。で、 S から見た棒と同じものを S ' にもってくると、右と左の端の時間が違うものになる。そうすると、その棒にとっては両方の手を同時に離したのと同等になり、加速されないという結論がだせる。ただ、この答えは「 S に引き戻して考えると同時に手を離したことになる」というのとほぼ同じで、ちょっと面白みに欠けるのではなかろうか?

そこで、 S ' での物理量だけを使って説明をしてみよう。ここでは手で押すというのを「棒の端から運動量を注入する」と考える。棒というのは連続体なので、その運動量を考えるには連続体上の運動量密度を考えることになる (「みみずが潰れる」というコメントはこのへんを暗示していたと思われる、ですよね?)。そうすると相対論的にはエネルギー・運動量4元テンソルを考えることになるが、テンソルになるとちょっとややこしいので、似たようなパラドックスを運動量でなく、流体密度で考えてみよう。

いま、筒の中を時間・空間とも一定のフラックス J で流体が流れているとする。フラックスが一定なので、流れている間は筒の中の流体の量(微視的には構成粒子数)は時間が経ってもかわらない。系 S の時計で時刻 t 0 に、せーので両端にフタをする。同時刻なので、フタをしたあとでも筒のなかの流体量は一定である。(フタをした瞬間に流体がフタにぶつかって、圧縮されたり乱流状態になったりすることはあろうが、フタからもれる流量がゼロなら議論はなりたつことに注意。これはオリジナルの問題の剛体がどうのこうのに似ている。) で、 S ' からみると…(以下略)

ミソは流体の密度・フラックスが4元ベクトル(4形式)であるというところにある。3次元的に書いた密度 ρ とフラックス J J ν =(ρ,J x,J y,J z) という4元ベクトルを構成する。いま、系 S t =t 0 までの密度・フラックスベクトルは ( ρ 0,J 0,0,0) だったとしよう。先述したようにフタをした直後は流体の運動は複雑になるが、十分時間が経つと流体は系 S に対して静止するので、 J ν =(ρ 0,0,0,0) になる。
さて、これを S ' から見てみると、初期状態では密度・フラックスベクトルは J ν '=(ρ',J',0,0)=(u tρ 0+u xJ 0,u xρ 0+u tJ 0,0,0) となる。ここで ( u t,u x,0,0) S S ' の4元相対速度である。 いま系 S ' での筒の長さを L ' 、断面積を σ とすると、この筒の中の流体量 A 0 ' A 0 '=σL'ρ'=σL'(u tρ 0+u xJ 0) であたえられる。両端にフタをしてから十分時間が経ったのちは J 0 =0 になるので、密度・フラックスベクトルは筒の中で一定の J ν '=(u tρ 0,0,0,0) となり、流体量 A ' A '=σL'ρ'=σL'u tρ 0 である。これは A 0 ' とは違う値で、この差 A '-A 0' t L <t<t R の間に閉じられていない右端の口から出ていったわけである。

ここで J 0 があるかどうかで、 S ' からみた筒の中の流体量(粒子数)が違うと言うのがちょっと直観に反する気がするが(しない?)、これは「筒の中の粒子数=筒という4次元空間内での超平面を横切る粒子の世界線の数」と考えると納得できる。

エネルギー・運動量場合もだいたい話は同じだが、運動量が変化してもなぜ速度は一定なのかというのは説明が必要かもしれない。これは相対論では速度の変化だけでなく、質量(=エネルギー)の変化も運動量を変えるということを考えれば理解できる。つまり、棒は S ' で一定の速度で動いているのだが、質量の変化分だけ運動量が変わるのである。

ということで,ベクトルとかエネルギー・運動量とかの物理的下準備てんこ盛りじゃないと説明できないのですが,もっと直観的にすきっとした説明はないでしょうか?

Comments and Trackbacks

私の理解では、手を離すと応力の変化が弾性波として棒の中を伝わります。止まっている系で同時に手を離せば、弾性波は左右から等速で伝わり、中心で出会い、応力の変化は打ち消しあう(というより、定在波になる)。
動いている系S'では、左右の端で手を離す時刻が異なるが、応力の変化が伝わる弾性波の速度は、ローレンツ変換の結果、左向きと右向きで異なるため、結局、左右の弾性波は真ん中で出会って、あとは同じ。 というように考えました。
ミミズ云々を持ち出したのは、たとえ止まっている系で見ていても、片側で手を離した瞬間には、反対側でも同時に手を離したという情報は伝わっていないので、応力が変化して、多少、その端が動いて見えるはずだ、ということを喩えたつもりですが、多分、誰にも分からない下手な喩えでしたね。

Posted by nq at 2005/02/08 (Tue) 20:10:20

まじめに書きますが

静止している人からみると、手を放すのが同時であるとともに、少し前に、手で押しはじめたのも同時。
運動している人からみると、手を放すタイミングはずれるけれど、実は、手で押しはじめたタイミングもずれていた。

これを考慮して、変形可能な棒の運動を議論してやれば、矛盾のない答がでます。これが、正確かつ直感的な説明だと思うのだが。
(実は、ナカムラさんの説明は長すぎて読んでないのだ。ひょっとしてネタかという疑念もぬぐえない。)

Posted by たざき at 2005/02/09 (Wed) 00:19:18

もう少し書くと

「重心の加速度」というのは、(同時性に依存するので)座標系に依存してしまう、というのが、この話のひとつのポイントだと思う。
変形する棒を押すことを考えると、
1静止系:同時に押しはじめて、同時に押すのをやめるので、終始一貫して棒の重心の加速度はゼロ。
2運動系:まず右端を押しはじめ、遅れて左端を押すので、最初は棒の重心は左向きの加速度をもつ。ところが、放すときは、まず右端を放し、遅れて右端を放すので、今度は、棒の重心は右向きの加速度をもつ。
けっきょくは、二つの加速度は打ち消し合って、手を放したあとの運動はどちらの座標系でみても同じ、ということです。

Posted by たざき at 2005/02/09 (Wed) 22:19:23

その説明では

両方から棒を押している間は重心は加速度をもっているのですか?
もとの設問になかった、「手で押し始めた」というところから始める
必要があるのでしたら、それは不完全な解答でしょう。
両側から力がかかっている平衡状態から始めても、矛盾のない答えが出なくてはいけないはずです。弾性波による力の伝播の速度が左向きと右向きで違うという説明はそれに答えていると思いますが。

Posted by nq at 2005/02/10 (Thu) 00:36:47

狼少年

家主のくせに反応が遅くてすみません。(連休中はまた反応遅れます。ご容赦。)

やっぱ,日頃のおこないでネタばかりカマしていると,マジに書いても信用されないのか。いや,上の記述はマジです。 (「お前の存在そのものがネタじゃ」と言われれば,強く反論する根拠をもたないが…。)

nqさんや田崎さんの説では,おのおのの系で棒のエネルギー・運動量は一定なのでしょうか,変化するのでしょうか?

ナカムラ説では,「棒の持っているエネルギー・運動量」というのは見た系によって違う (単にローレンツ変換すると違うように見えるのではなく,ちがう物理実体を意味している) ので,静止系ではエネルギー・運動量は一定,動いている系では変化する,ということが矛盾しない,ということだと思うのですが。 これは田崎さんの「重心が座標系に依存する」というのと同根だと思います。

Posted by 中村 at 2005/02/10 (Thu) 10:10:42

nq さんの

説明は正しいと思うのですが、しかし、これは(もちろん、ご存知のように)「L だけ離れたところから同じ測度でボールを投げた」話と同じで、弾性波の出会う位置についてはパラドックスはないと言っているだけだと思う。しかし、ぼくが思うに、ナカムラパラドックスの主眼は、「運動系から見ると、一端だけが押されて他端が押されていない時間がある。すると、運動系からみると、棒は加速されてしまう!」というところにあるわけで、棒の内部の弾性波だけを見ていても、この(みかけの)パラドックスの解読にはならないと思うのですが。(すべての文が「思う」で終わっているように思う。)

Posted by たざき at 2005/02/10 (Thu) 12:24:36

あ、すみません

nq さんからのご質問を見逃していた。

たしかに、説明として片手落ちか。いま時間がないので、また後で書きます。

Posted by たざき at 2005/02/10 (Thu) 13:46:57

だいたい腑に落ちたけど、いよいよ書くのが面倒になってきた

nq さんがおっしゃるとおり、ぼくの説明は「棒が両側からおされて平衡になっている」状況から出発することを放棄していて、ちょっと、ずるい。棒に根性がなくて、平衡に達しない場合は、押しはじめも考えないとダメだというのは確かなわけですが、棒に根性があれば、あの説明は(嘘ではないが)ずるい。
弾性波の話では説明にならないと書きましたが、たしかに、あの議論によって、「けっきょく、すべては中心で出会うから、ここにはきれいな左右対称性がある」ということは、はっきりする。そうすると、棒の各部分が受ける反発力にも対称性があることが結論されるでしょう。運動系からみると、一時的には、棒全体は加速度をもちますが、この対称性のために、最終的にはトータルの加速度はゼロになり、矛盾は生じない。
さあて、これをブルーバックス的にっていうのは難しいのお。棒の両端の質量だけがやたら重い極限なら、「時間の遅れが両端のあいだの情報伝達にかかる時間よりも絶対に遅い」という事実だけを使って、ま、説明は作れますが、この極限はちょっとずるいなあ。
と、まあ、遊んでばかりでなくて、仕事しよ。

Posted by たざき at 2005/02/10 (Thu) 13:59:02

「速度」の誤変換が「測度」

って、何かかっこいいですね。

ところで、ナカムラさんの質問、運動量、エネルギーが変化するんでしょうかって質問ですが、仕事を受ける(手を離す)時刻が左右で違うから、それは違うでしょうけど、causally disconnected 領域の量をまとめた話なので、物理的にはあまり意味がない議論、と思います。

Posted by nq at 2005/02/10 (Thu) 21:00:32

ど素人で申し訳ないのですが

中村さんの解答だと棒を流体として考えていて内部で打ち消しあうと言うことでしょうか?
nqさんのコメントはとてもわかりやすいと思うのですが、この場合棒の両端は縮むと考えていいのかどうか良くわかりません
縮むと考えた場合。棒の中心は動かないのは解りますが両端は加速度を生じているのですね
問題提起を見直してみると動くか動かないかというものだと思いますのでこれであっているのかな、という感想です
「運動系から見ると、一端だけが押されて他端が押されていない時間がある。すると、運動系からみると、棒は加速されてしまう!」の答えは中心に向かう加速度が運動系から見ると右と左で異なるから中心で打ち消しあうと言うことでしょうか
なんだか同じ事を言っているような気がしてきました(とほほ)
やはり素人です。ブルーバックス風の解答、期待しています

Posted by 恒考 at 2005/02/11 (Fri) 18:54:24

ブルーバックスを目指して

答えてみます。結局、「棒」といっても、有限の速度で力が伝わる弾性体ですから、こんにゃく棒とか、ばねと同じです。こんにゃく棒を両側から圧縮しておいて、ぱっと両手をはなすと、ぷるんぷるんと伸び縮みをくりかえします。このとき、重心は動きませんが、両端は加速度をもって対称に運動します。この動きを、運動系S'で見れば、片方の端が先に動き出すようにみえる、ということです。
 恒考さんのおっしゃる、「中心に向かう加速度が運動系から見ると右と左で異なるから中心で打ち消しあう」という表現は、ことによると誤解に基づいているかもしれません。私は、力は、弾性波によって伝わり、弾性波の速度が運動系で見ると右と左で違うので、力の変化は中心で出会うと書きました。加速度ももちろん左右で違うのですが、肝心なのは加速度の変化が伝わる速度(弾性波の速度)です。

 忙しいと、つい、逃避に精が出ます。

Posted by nq at 2005/02/12 (Sat) 15:33:06

先を越された!

ナカムラも「測度」についてコメントしうようと思ってたのです。でも,nqさんのやつのほうが粋だな。

「causally disconected な領域での積分量は意味がない」というnqさんのご指摘ですが,「いつも意味があるとは限らない」というのと「いつも意味がない」というのは別物だと思います。で,いつ意味があるかと言えば (1)その量が物理的にwell-defined,かつ(2)ちゃんと役にたつ,という場合でしょう。「ある系からみた有限な空間領域内の総運動量」というのは (少なくともフラットな計量では) この両方を満たしています。相対性理論の教科書を何冊かみると,有限な領域でエネルギー・運動量を積分しているのを見つけられます。手元にあるのでは,シュッツ日本語版の上巻4章とかMoller英語版第二版6章などにあります。

(1)のwell-definedなのは自明ですが,(2)に関して何の役にたつかというと,詳細な計算をしなくても保存量として考えることができるという点でしょう。そもそもナカムラが提起した問題を物理的に正確に記述するには,棒全体の運動量保存が不可欠だと思います。正確に問題をのべると「初期状態では,両側から単位時間あたり等量の運動量を逆向きに注入しているので,棒は動かない。で,動いている系からみると,一方からだけ運動量が注入されている時間があるのに,なぜ棒は動き出さないのか?」というということになります(実はこれでも正確ではなくて,「動き出す」ということの定義が必要なるのだが,長くなりすぎるので,これについてはのちほど)。

nqさんの弾性波説では,手を離したという情報が出会う場所はどの系からみても同じということに対する説明にはなっていますが,田崎さんも“思う”ように「なぜ動き出さないか」の説明には不十分だと思います。止まっている系では対称性から,弾性波が出会うと両方向の運動量がキャンセルすることがわかりますが,動いている系ではそれは自明ではありません。止まっている系でも弾性波の伝搬速度が一様でなく,左右非対称がある場合は,運動量保存をつかわずに説明するのは大変でしょう。

Posted by 中村 at 2005/02/14 (Mon) 14:01:10

ブルーバックス的には…

恒考さんの内部で打ち消しあうのか,というご質問ですが,ナカムラの考えでは違います。有限領域にひろがった運動量というものが,みる系によって違うのが本質だと考えています。でも,これの説明にはテンソル解析が不可欠で,ブルーバックス的な解説は思いつかない…。宿題にさせてください。

そもそも,今読み返してみると初めに書いた「間違っていたは間違っていた」はきわめて不親切で,なにを書いているかわかりづらいと思います。結局,田崎さんの重心説と関係してくると思うのですが,少なくともテンソルの扱いに慣れているひとなら分かるように書き直すべきですね。もうちょっと時間をください。

Posted by 中村 at 2005/02/14 (Mon) 14:08:17

もう読んでらっしゃらないかもしれませんが

たまに読み返して考えていました
言葉の使い方が間違っていたかもしれませんが、nqさんの説は弾性波の速度が右と左で違うのだな、とイメージしていました。
僕は基本的には一本の長い固体の棒を想像しています
左右非対称だと手で押さえている時点で動きそうな気がしてしまいますので・・・(想像力が貧困なのです)
テンソルって言うのはもうお手上げですね
解りません
流体量が出て行ったらその分余計に動くのでは?なんて思ってしまいます
物理に詳しい人だと、ああ、ああいう解釈か、とか思われるのでしょうね。きっと
色々考えるのは結構楽しかったです
また、素人でも(一応)参加できる問題が出るのを楽しみにしています

Posted by 恒考 at 2005/02/23 (Wed) 20:47:54

新しいコメントは全部読んでます。

コメントありがとうございます。

左右非対称でも両手でしっかりもっていれば動かないですよね(たとえばすりこぎのを両手で持っているところを想像してみると,動かない。)

ナカムラの説が正しいかはわかりませんが (本人はかなり自信あり),テンソルとかをつかわないと説明できないのはこちらの力不足ですね。そのうち時間をとってすっきりとした説明を考えてみようと思っています。

Posted by 中村 at 2005/02/25 (Fri) 19:44:12

この問題は、「相対論の正しい間違え方」の第2章中にある、電車で爆弾どっかーんと本質的には同じ問題ではないですか?

Posted by at 2009/04/14 (Tue) 15:44:10
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