Apr 03, 2005

非ユークリッド心理学

御無沙汰です。実はこの2週間ほど,出張で千葉→京都とまわってました。その報告はのちに書くとして,以下はその京都で心理学を研究している友人からきいた「公理系心理学」の話。これは1990年代にオランダから始まった新しい動きで,主としてヨーロッパで研究されているらしい。日本にはほとんど紹介されていないので,ご存知の方は少ないだろう。

公理系心理学とは人間の欲求のなかの基本的なもののいくつかを「公理」ととらえ,他の欲求はあたかも幾何学の定理のように,それから演繹されるものと考える立場だそうだ。具体的には公理的欲求とは(1)食欲,(2)性欲,(3)好奇心(知識欲),(4)快適さの欲求,(5)自己肯定欲,の5つで,これらはどの人間にもある本能のようなものとみなされる。このうち,(1)から(3)までは解説の必要はないだろう。(4)の快適さの欲求とは,たとえば極端な暑さとか寒さを避けるとか,あるいは睡眠や排泄を求めるとかいう,動物的な欲求である。(5)の自己肯定欲とは,名誉欲や自己顕示欲の源泉で,社会やまわりの人間 (あるいは自分自身) から高く評価され,肯定されたいという欲求である。これがないと,(1)から(4)までに反する自己犠牲の精神などは説明できない。

この公理的欲求を認めると,たとえば,金銭欲などは,もともと(1)から(4)までの欲求を充足させるものとして発達し,のちに金をもっているということが社会的地位を意味するようになると(5)の欲求からも支持されるようになったと解釈できる。ここで公理系心理学が主張するのは,そういう金銭欲などが十分に発達すると,それは「定理的欲求」となり,もともとの公理的欲求と結び付かなくなっても存在しつづけるというところである。これはよく言われる手段の目的化というやつで,(1)から(5)までの欲求のどれひとつ満たされなくても,預金通帳の数字が増えていくだけで快感を感じるようになるわけだ。そう考えると,われわれのまわりって結構定理的欲求ありますよね。ゴージャス欲とか。

で,こういう枠組で90年代にオランダを中心に研究がすすんでいたわけだが,1998年にオーストリアのLeubnerという研究者が面白いことをいいだした。彼は,上にあげた5つの公理的欲求のうち「第5公理」がない人間も理論的には存在し得るのではないか,と考えたのである。つまり(1)から(4)までは人間のDNAに書き込まれている本能だが,(5)は生まれたあとの社会生活で身に着けた後天的な欲求だというわけだ。Leubnerが根拠とするのは,民族学の知識である。20世紀初頭の民族学の報告では,南太平洋のいくつかの小島に住む民族で,われわれの考える倫理感とか正義とかとは著しくことなる価値体系をもつ社会があることが報告されている。たとえばフィージー諸島のある島では「友情」という概念がなく,友人を助けるのは愚かな行為でしかない。これはその友人と仲が悪いというわけでは全くなく,親友であろうが親戚であろうが,困っている人を助けるという発想がないのである。
  もう21世紀のいまとなってはそういう小社会は西欧化されてしまっているが,Leubnerは過去の民族学者の報告 (残念ながらあまり多くない) を子細に検討して,これは(5)の自己肯定欲が形成されていない社会であろうと推論した。彼によると,自己肯定欲というのは自己を犠牲にして自分の属する集団を守ろうという社会的遺伝子 (ミーム) で規定されるものであり,外敵のほとんどいない,楽園のような太平洋の小島にすむ人々には必要のない欲求なので,これらの島々では発達しなかったのだという。

Leubnerはこれを非ユークリッド幾何学になぞらえて,「非ユークリッド心理学」と名付けた。(実は公理系心理学の公理の選び方は研究者によって微妙に違い,かならずしも上の5つではないのだが,Leubnerは幾何学になぞらえて第5公理に自己肯定欲をもってくるために,いくつかの欲求を第4公理に無理にぶち込んだと思われる節がある。) この非ユークリッド心理学は,太平洋の小島の文化が絶滅した今となっては検証のしようがないが,21世紀に入ってから,コンピューターを使ったエージェントモデルで第5公理のない疑似社会をつくり,どう機能するかという研究も始まっているそうである。

なかなか面白い話でしょ? ナカムラも出張中に興味を覚えて,大学に帰って来てからちょっと調べてみたのだが,日本語で解説してあるページはここしかみつからなかった。上では書かなかった面白い事実などもあるので,ぜひ,覗いてみていただきたい。

Comments and Trackbacks

あれれ?

コメントが全然違うブログについちゃってる??

ここまで含めての壮大な仕掛けなのでしょうか???

Posted by 伝道師K at 2005/04/01 (Fri) 18:43:40

と思ったら

↑はちゃんと反映されてました。不思議。

ちなみにもともとのコメントはなぜか一番最初のブログについちゃっています。すんません。

Posted by 伝道師K at 2005/04/01 (Fri) 18:46:33

やっぱ読めました?

ちょっと,修正中にファイル名を変えたので不具合がおきたのかな?

>ちなみにもともとのコメントはなぜか一番最初のブログについちゃっています。

伝導師のコメントは「民名書房」系の人にはとってもウケるので,以下に張っときます。(京都ではお世話になりました。)

====== 伝導師のコメント =======
やっぱり(ニヤリ)

昨年は御協力ありがとうございました(フフフ)

ちなみに「非ユークリッド心理学」の亜流的研究になりますが、自己欲求の反復実現によって得られる充足感の個人差を定量化する”尤繰度”という指数が、既に 1920年代の日本で提唱されていたことには、さすがのナカムラさんも調べがつかなかったものと思われます(確かテキストは民明書房刊だったかな)。

…出来悪いな…

Posted by 中村 at 2005/04/01 (Fri) 18:59:19

わしが

エチカを出版したのはもう何百年も前のことであるぞ!

Posted by スピノザ at 2005/04/02 (Sat) 00:31:28

極私的脳戸栞日録/2005-04-02

2日の極私的脳戸栞 † ↑Gmailをめぐるあれこれ † いちいちこちらでリンクしないけれど、Gmailのいろんな利用法、見ているだけで楽しかった。ファイルシステム(もどき)にマウントしてしまったりするなど、ちょっと思いつかないもんなぁ。そういう発...

Posted by PukiWiki/TrackBack 0.2 at 2005/04/03 (Sun) 07:56:09
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