Aug 20, 2007

絶滅危惧種

先日,絶滅危惧種のビワツボカムリが生きていたというニュースがあったが,最近,ナカムラも金沢に絶滅危惧種の探査に行ってきたので報告する。どんな危惧種かというと,これがワシントン条約でも保護がうたわれている(ウソ)「ジャズ喫茶」というやつである。「名画座」とならんで風前の灯の1970年代文明のひとつで,いまは東京や大阪などの大都市のここに一軒,あちらに一軒と,細々と生息しているのが確認されているのみとなっている。それが金沢にもあるという情報を得て,所用で行ったついでに寄ってみた次第。

「え,ジャズカフェならよく行く店があるけどなあ。ライブもときどきやってるし,カクテルなんかあっておしゃれ♪」というお嬢さん,あなたは本物のジャズ喫茶を知らない(知っててもたいして嬉しくないが)。

ナカムラが行ったのは「York」という香林坊日銀裏の店。まず,「裏」というのにふさわしく,本当に細い路地に面していて,ビワツボカムリよりも発見困難なのがジャズ喫茶の正しいありかたその1。そして店に入ると

  • 客がだれもいない狭い店の中に,大音量でジャズがかかっている。
  • 店の内装はいまだに昭和が終わっていない。
  • 天井にある落書きから任意にふたつをとりだすと,その間に少なくともひとつの落書きがある。(ように感じられるくらい落書きがある。)
  • 「ジャズ批評」のバックナンバーが積んである。
  • 「メニューください」という意味で「メニューあります?」と言うと当然のように「ありません」と答えられる。
  • 「じゃなにか食べるものは?」ときくと「やきそばぐらいならできるんですが」。
  • そして出てきたやきそばが量だけ多くて,くそまずい。
  • そのあとに頼んだコーヒーがさらにまずい。
  • 1時間ほど店にいる間に他の客がだれもはいってこない。
という涙がちょちょぎれるようなジャズ喫茶の純血種である。すばらしい! たぶん,また行くと思う。

Aug 19, 2007

夏の日の午後の研究室にて

Knock, knock!
「はい,どうぞ。なんだ,A子じゃないか。」
「センセ,借りた本返しにきました。」
「あ,この前貸した『科学哲学の冒険』ってやつね。対話形式で科学哲学のわかりやすく紹介をしているんだが,結構つっこんだ内容もあるってやつ。面白かった?」
「内容はとっても勉強になったわ。科学哲学って名前だけ知っていたけど,結構面白い分野なのね。」
「この本は英語のS野先生に勧められて買ったんだが,面白くていっきに読んでしまった。いい本だと思うな。」
「S野先生って,あの,背の高い,丸い眼鏡かけてる先生ですか? あの先生,カッコ良くてダンディだって女子学生の間では人気よ。」
「そう,あのカッコ良くてダンディな先生。彼の本業は自然科学哲学なんだよ。まだ若いけど,その業界では評価されているらしい。実は彼は僕の大学時代のサークルの後輩なんだ。」
「へえ,そうなんだ。同じサークルの先輩後輩でもずいぶん違うものね。」
「どうせ僕はカッコ良くもないし,ダンティでもないですよ。新宿歩いていると意味もなく不審尋問されるし。」
「いじけない,いじけない。ひとそれぞれってことよ。それより,この本,内容は面白かったけど,書き方がちょっと疑問だわ。」
「(『ひとそれぞれ』って,よく考えると全然フォローになっとらんやんけ。)書き方?」
「書き方というか,一般的なことだけど,この手の解説本で会話で話をすすめていくやつがよくあるけど,これって本当に意味があるのかなあと思うの。この本も,大学の先生と研究室に遊びにきた学生の対話という形をとっているけど,なんかまどろっこしくて,ちゃんと論説文みたいな感じで書いてくれたほうが,すっきりするような気がする。 」
「あ,それは僕も日頃感じることだ。先生と生徒の対話みたいにすれば,難しいこともやさしく理解できるみたいな誤解があって,ちと困る。難しいことは対話にしようが漫画にしようが難しいわけで,それを解説するのはどんな形をとっても大変だよね。たとえば量子力学って知ってる?」
「自然科学概論の授業で名前だけ聞いたわ。」
「その量子力学でシュレディンガー方程式というのが重要な役割を果たすんだが知ってるかな?」
「シュレディンガー方程式?」
「量子力学では,電子のようなミクロな粒子は古典論のように位置と運動量がはっきり決められないんだよ。だから,それをある意味で確率的に記述するしかなくて,その確率が従う方程式のことをシュレディンガー方程式というのさ。シュレディンガーって物理学者がみつけたんだけどね。」
「なるほど,シュレディンガー方程式がどんなものかわかったわ。」
「……なんて感じの会話が書いてある解説をみかけるけど, おまえナメとんのか,ゴルァ!と言いたい。シュレディンガー方程式の名前を初めて聞いた奴が,この数行の解説で理解できるはずがないじゃないか。でも会話文にするとうまく解説したつもりになっちゃうのかなあ。」
「まったく同感。それにこういう会話文って,なんか超不自然だったりしない? たとえば, この会話の冒頭にセンセの『なんだ,A子じゃないか』ってセリフがあるけど,普通こんなこといわないよね。その次の『対話形式で科学哲学のわかりやすく紹介をしているんだが云々』ってのも,妙に説明的で,お互いに知っていることなんだからわざわざ言う必要はないはず。読者にわからせようとして,不自然な会話になってしまっている。」
「あと,思うんだが,話の本質に関係のない,マクラというか遊びというか,その部分がどうしようもなくダサくて面白くないってことよくあるよね。」
「この会話でいうと『どうせ僕はカッコよくないし,ダンディでもないですよ』あたりね。センセに借りたこの本でも,登場人物の男と女の学生二人が実はつきあっていました,みたいな挿話が最後にあるけど,面白くもなんともないわ。そんな理系オタク女と哲学フェチ男がチャラチャラつきあってるかどうかなんて,どうでもいいわよっ! 知りたくもないわ。」
「なんか私怨入ってません? そう言えば,A子って最近彼氏とわかれたって噂を聞いたが……。」
「……。」
「……。」
「だから,そんな本筋に関係のないダサい創作の部分なんて必要ないって言ってるでしょ。」
「へい。すんまへん。でも,まあ,対話形式による解説って,かのガリレオ・ガリレイもやっているし,うまく使うとそれなりの効果はあるんじゃないかな。つまり,なんでもかんでも対話形式にすればわかりやすくなるってわけじゃないけど,それなりに文才のある人がうまく使えば効果はあるってこと。」
「いかにも対話形式の解説の最後に強引にまとめましたっていう,不自然なセリフね。」
「おあとがよろしいようで。」