May 26, 2007

鼻毛配分

ナカムラのいる大学のナカムラのいる部局で,研究予算の配分方法が話題になっている。今年から,なんらかの競争的配分を導入しようという話になっているのだが,ここで,例題として,以下の三つの配分方法の優劣を考えてみよう。

  1. 研究成果というものは量的に比較が難しいので,全員に均等に配分する。
  2. 各研究者に鼻毛を一本抜いてもらい,その長さに比例した研究費を与える。
  3. 研究者の間でかわされる互いの研究能力に関する噂話を調査し,それに基づいて研究者を「上」,「並」の同じ人数の二つのグループにわけ,「上」と「並」で支給額に格差をつける。
みなさんはどれが一番妥当だと思われるだろうか? 鼻毛配分は論外,噂配分もちょっといいかげんっぽいので,多くの大学でやっているように均等配分が妥当なところじゃないか,と思われる方もいるかもしれない。今回の話は,均等配分が鼻毛配分と同じくらい馬鹿げていて,噂配分がもっともまし,しかも圧倒的にましな配分方法であるということを信ずるに足る根拠があるという内容だ。

まず,簡単なモデルを考える。各研究者の成果がなんらかの指標で計れるものとし,i番めの教員の成果をyiであらわす。さらに各研究者の研究能力を係数aiであらわし,研究費xiをこの研究者に与えるとyi=ai xiの成果を生み出すものとしよう。これは極端に単純化したモデルだが,この妥当性についてはのちほどふれる。

始めに,均等配分と鼻毛配分を比べる。研究費の総額X = Σxiが一定のとき, 成果の期待値 <y>(以下,< >で期待値を表す)の大小で配分方法の優劣を決めるとしよう 。 まず,鼻毛配分についてだが,多分,鼻毛と研究能力の間には如何なる相関もないので(あったら大発見だ)積の期待値は期待値の積で置き換えることができる。つまり

<y>鼻毛 = <a x> = <a><x>

となる。均等配分の場合はxiは全て同じなので,これをx0と書く と

<y>均等 = <a> x0

となるが,研究費総額が固定という条件から<x> = x0なので,鼻毛配分も均等配分もアウトプットは同じということになる。

では,噂配分と均等配分の比較だが,まず,噂話から「上」「並」にわける作業の妥当性 を考えてみよう。もし,研究能力aiがなんらかの方法でわかって,それを上から順に一列にならべた場合,半分のところの値aで上/並にわけて,上に分類された研究者なら必ずai > a,並なら必ずai < aとなるようにできれば理想である。ところが,噂話はそれほど確かではないので,実際にはかなりはずれがある,つまり上でai < aとなったり,並でai > aとなったりする。

しかしながら,噂話と言えども全く実態と関係がないということは多分あり得ないので, はずれる確率を p で表して 0 < p < 1/2 としよう。すると,n人研究者がいた場合に噂判定がk人に対してはずれる確率P(n,k)は2項定理(っていうんだっけ?)で

P(n,k) = nCk pk (1-p)(n-k)

となる。「はずれ」が「あたり」より大きくなる確率はP(n,k)をkがn/2からnまで足した値になるが,これはnがある程度大きいなどの基本的な前提をおくと,<y>均等 が<y>より大きくなる確率,つまり均等配分の方が多くのアウトプットを生む確率とほぼ等しくなる。

では,実際にこれがどのくらいの値になるだろうか。まず,pの値であるが,ナカムラの感覚ではこれは0.2とか0.3とかの値である。つまり,研究能力に関する噂話は7,8割方正しいということだ。これは多くの同業者が同意してくれるのではないかと思う。ここではp = 0.2としてみよう。次に,nだが,ナカムラの勤める福井県立大学の規模だとすると100人程度である。すると,均等配分の方が優位になる確率は10-5程度の数となる。これは天文学的と言っていい小ささである。もっとひかえめに,p = 0.4としても,この確率は3%ほどとなり,依然として極端に小さい。p = 0.4というのは,あてずっぽうよりもちょっといい,という程度の確率なのであるが,それでも噂配分の優位性は歴然としている。

というわけでここでの教訓は,かなりいい加減な評価であっても能力評価をやって研究費に差をつけたほうが効率的であるということだ。もちろん,これはあまりに話を簡単化しているわけで,いくつも反論が考えられる。たとえば,以下のようなものはすぐに思いつく。

「そもそも研究成果や研究能力を単純な数値であらわすこと自体おかしい」
これは,この手の議論をするときにでてくる定番の反論である。これを言うと,経済学をはじめとする多くの数理系社会科学を敵にまわすことになるような気がするのだが,数値によるモデル化の有用性をまったく信じないと宣言されれば,それを合理的に反駁するのは難しい。しかし,数値化を信じないということから言えるのは,「噂配分が均等配分よりすぐれていると信ずるに足りる根拠がない」ということであって,均等配分の方がすぐれているという主張はできない。研究成果を比較する手段がないのなら鼻毛配分だって他の配分方法と同等な正当制があるはずである。数値化を信じなくて,なおかつ均等配分の方が鼻毛配分より優れているとする,説得力のある議論は寡聞にしてきいたことがない。

「モデルが簡単過ぎて実状をあらわしていない」
ここで示した結果はインプットがアウトプットに比例するというきわめて簡単なモデルに基づいていた。これ以外のモデルを使って違う結論を導くことは当然可能である。とくに均等配分が鼻毛配分より優れているとするモデルは簡単にできる(逆のモデルもすぐ思いつく)。しかし,噂配分と均等配分の比較結果は,たとえば,研究能力や研究費をある確率分布をもった連続変数にするなどの拡張を行っても,多くの場合同様な結果が得られるはずである。あからさまに噂分配が不利になるような要因を導入すると逆の結果も得られるが,不自然でないモデルというのはなかなか難しいのではなかろうか。考えつくのは,噂話の収集(一般的には研究能力の評価)にかなりコストがかかって,総研究費を圧迫してしまうというものである。これは考慮に値する反論となり得る。とくに「コスト」の概念を広くとって,競争によって生じる人間関係の悪化が生産性を落とすなどという議論は説得力があろう。

「最近の,なんでも効率一辺倒で,競争さえすればいいという風潮はよろしくない」
これは一般論としては全く正しい。しかし「すべて効率一辺倒,というのはよくない」という言明から「効率一辺倒というのは,すべてよくない」という結論は導かれないのは明らかである。

ほかにもいろいろと反論はあり得るし,ナカムラはなんらかの評価に基づいた配分方法が絶対的に正しいと主張しているわけではない。しかし,均等配分という配分方法の非合理性はここでの議論でご理解いただけると思う。本格的に議論する際の参考情報程度になれば幸いである。

May 03, 2007

MsgH

「あり得ないほど癒される」というので話題のこの動画であるが,確かにちょーかわゆい。しかし,日頃お気楽人生をおくっているナカムラはそれほど癒される必要もないので,2回めこれを見たとき(実はあまりにかわゆいので2度見てしまったのは内緒だ)「こいつら,この首の角度で肩こらんのかいな?」などと考えてしまった。いや,こんなことを考えるのは実はナカムラは重度の肩こり症で,とにかく,いつでもどこでもいくらでも肩を揉んでもらえたらハッピーという体質なのである。

で,話題はちと飛ぶが世の中には銀行というものがあって,経済学的にくわしい話は知らないのだが,これは基本的には,金が余った人がそれを預けておくと必要な人に貸しだされて,お互いに幸せ,というシステムであろう。考えるに,その昔,貨幣経済が始まったころから金の貸し借りはあっただろうが,そのころは銀行がなかったので,知っている人の中でだれそれが金が余っている/必要という情報をたぐっていって,貸し借りの相談をしていたのであろう。それでは限られた人の間でしか貸し借りが成立せず,効率が悪いのだが,道ゆくひとに片っ端から「金,余ってませんか?」と訊いていくわけにもいかない,というので銀行のような制度ができたのではなかろうか?

と,そこで考えるのだが,肩揉みに関しても同様に銀行的制度を導入できないだろうか? さきほど,ナカムラはいくらでも肩を揉んでほしいと書いたが,その代償としてだれかの肩を自分が揉めといえば,喜んでやる。実際,肩こり症の学生をみつけると,有無をいわさず肩をもんで,みかえりを要求したりする(ヤマゲンいつもありがとう)。しかし,これを見ず知らずの他人にまで広げることはできない。いきなり街中で道ゆく人に「あなた,肩こってません?お揉みしますよ」と尋ね回るわけにはいかないであろう。肩凝ったなあと思いながら人ごみを歩いていると「ああ,この人々の中の何割かは肩こりに苛まれているのだろうな,それがわかればお互いに幸せになれるのに」などとつい考えてしまうわけだ。

そこで,肩こり銀行,またはマッサージバンクを導入するというのはどうだろうか? 繁華街に店舗をかまえていて,肩凝ったなあと思ってそこに行くと,同じ悩みに苦しむ同胞が待っていて,お互いに肩をもみあってハッピーになるのである。さらに忙しいときなどはちょっとマッサージしてもらって,お返しは別の暇な日に,ということができれば便利である。つまり,通貨のように貯蓄できるわけだ。マッサージバンクの帳簿の上に「あんま時」あるいは「MsgH(Massage Hour)」という単位で記録しておく。電力量を「キロワット時」で計って電気料金を算出するようなものだ。

このシステムが日本全国に浸透すると,MsgHは通貨単位としてどこでも使えるようになる。福井で日頃こつこつと貯めたMsgHを連休の北海道旅行のときにドバっと使って豪遊したりとかできる。さらには,肩が凝るのは日本人の専売特許というわけでもあるまいから,広く海外までMsgHが流通するようになるともっと便利。通貨単位として全世界共通で,為替レートなど考える必要もなく,また,豊かな国でも貧しい国でも同じ価値が保証されるので,そのうち基軸通貨として機能し始め,昔あった「金本位制」のように「マッサージ本位制」経済圏が形成されるのも夢ではない……ことはないなあ,世の中には肩の凝らないひともいるんだった。