Dec 30, 2006

E電と山犬

先日,ひさしぶりにトランプゲームをやった(「大貧民」のルールをやっと憶えたぞ。でもすぐに忘れるんだろうな…)。そのとき,ふと気がついたのだが,日本語にはトランプの「スート」に対応する言葉がないですね。ルールの説明をするときにとっても不便。「あの,スペードとかハートとかの区別」とか言ったり,「例えばスペードに続いてはスペードしか出せない」とかいう個別の例で示したりすることで意志の疎通を計っている。

あきらかにわれわれの頭の中に概念を共有しているのに,それに適切な言葉がないって例は珍しいんじゃないだろうか?「切札」とか「ババ」とか,他の必要な単語は対応する日本語があるのに「スート」はなんでないのだろう。花札とかのそれまでの日本のカードゲームにはない概念だからだろうか? …と書いて,ちょっと考えると「姓名」の「名」,つまり英語で言う「Given Name」なんてのもそうだから,同じような例は結構あるのかも知れないな。みなさん,思いつきます?

これは,ソシュールの言う所のシニフェとシニファンの問題であるが…などと知ったかぶりでわかったようなことを書こうと思って,ネット上を調べているとソシュール思想の基本概念というページを見つけた。で,そこにあった

 例えば、「犬、狼、山犬」という語彙を持つシンプルな体系を考えます(もちろん、生物学的には意味のない分け方です)。もし仮に、ここで「山犬」という単語が無くなるとすると、それまで「山犬」と呼ばれていた動物の一部は「犬」に、一部は「狼」になるでしょう。また仮に、「野犬」という単語が新たに生み出されたとすると、それまで「犬」「狼」「山犬」と呼ばれていたもの、それぞれの一部が「野犬」というグループに分類されることになります
という記述を読んで,ちょっと思い出した話題をひとつ。「生物学的には意味のない」と書いてあるが,生物学的な区分も「種」以上の「属」とか「門」とかになるとあてはまるのかも知れない。また,「山犬」という日本語がこの例にぴったりくるかという問題もあるそうだが,そのへんは無視。

で,ソシュールの言う所は,ナカムラの素人理解によると

|------ 犬 ------|---- 山犬 ------|----- 狼 ------|

と区別している言語があって,ある日,「山犬」という単語がなくなると,

|---------- 犬 ---------|----------- 狼 ----------|

という具合に「犬」と「狼」の守備範囲がひろがって,「山犬」なしでもやっていけるだろう,というである。つまり,連続分布の概念をいくつかにわけて名前をつけるときに,いくつの単語を用意するかというのには恣意性があり,その単語が概念の方を規定してしまうということである。(らしい。言語学に詳しい方,間違ってたら教えてください。)

そう言われると,なんとなくそんな気もするなあ,でもいきなりある言語から必要な単語なくなるということは,まずないんじゃないか。もし「山犬」に対応する動物が死に絶えてしまって,その記録も忘れ去られるとしたら,そもそもその単語の必要性自体がなくなって,

|------ 犬 ------|         |----- 狼 ------|

のようになっちゃうし,などと思われた方もいるのではなかろうか?もし,ソシュールの言うようなことを起こそうと思ったら,独裁国家で専制君主が「来年から山犬なる単語を使うこと,まかりならぬ」みたいな禁止令を出すときくらいしかないんじゃなかろうか,とも思える。

ところが,昭和終盤の日本でこの話にぴったりの例が起こっているのである。「国電」である,と言ってピンと来ない若い方に説明すると,その昔,今のJRは「日本国有鉄道」略して「国鉄」と言って日本政府が経営していた。で,その時代,JR線のことは「国鉄線」と言われていたのだが,その中でも東京や大阪の大都市圏の近距離列車をとくに「国電」と呼んでいた。(たぶん,もっと昔には長距離列車はディーゼルかなんかで,都市圏近郊だけが電車だったからそう呼ばれるのかと思うが,さすがにそれはナカムラの生まれる前の話。)
それが,国鉄が民営化してJRになるときに,やっぱ「国電」じゃまずいでしょう,ということになって,名前を公募したりして,JR東日本では「E電」などという脱力する名前なども提案されていたのだが,結局これは定着しなかった。その結果,いまの日本語には「東京や大阪の大都市圏の近距離列車」というカテゴリをあらわす言葉がなくなっている。それなしでも特に不便はない。

…というのが,今回の話題。だからどうした,といわれそうだが,どうもしてません。すみません。いや,でも,われわれ昭和世代は言語学理論を検証する世界にもまれな現地実験の生き証人なのであると思うと,ちょっと楽しくないですか?

東京大学のアルバートアイラー returns

以前に書いた「東大アイラー本」の記事にたくさんコメントをいただいて,いくつか疑問点が生じたので同じ著者の「憂鬱と官能を教えた学校」も読まねば,と思っていたのだが,一時中断して他の買って読んでいない本を片付けている(「ドラゴンフライ」面白かった!)うちに日がたってしまって,最近ようやく読むのを再開したところである。…と思っていたら,昨日,かなり厳しいコメントをいただいた(12/04コメント欄参照)。

>何も知らない人が能天気ないちゃもんをつけているように読めました。

という御指摘である,確かにナカムラは音楽に関しては素人だし,さらに同じ素人でももっと詳しい素人の方もゴマンといると思われるので,「何も知らない人」といわれても仕方がないかもしれない。ただ,自分の書いたものには「しょうもないジョーク」も含めてそれなりに責任があると思うので,「そんな,素人の話にいちいちめくじらたてなさんな」みたいな無責任なことは言わず,御批判には答えたいし,誤りがあればそれなりに謝罪・訂正はしていきたい 。

ということで,以下がこのコメントについてナカムラの返答である。書いているうちに,コメント欄には長すぎる分量になったので,新しい記事にした。コメント主さん(コメントには名前がなかったので,便宜的にこよばせていただく)にまだ読んでいただけるようなら,さらなる反論・コメントをお待ちしてます。また,これを読まれた他の方でも間違いなどあったら指摘していただきたい。なお,ナカムラはバークリー・メソッドを直接学んだことはなく,「ジャズ・スタディ」やら「憂鬱と感能」やらで間接的に知っているだけであることをことわっておく。「原典を読まないかぎりなにも言うな」という立場もあるかとは思うが,孫引き知識でも許される理科系業界にいる(「プリンキピア」読んだことのある物理学者なんてほとんどいないだろう)ということで大目にみていただきたい。

>いいですかいいですか、デイヴィスがバークレー・メソッドを学んで台頭したのではなく、デイヴィスらが始めたモード・ジャズを分析する手法としてバークレー・メソッドが台頭したのですよ。

いいですよいいですよ。まず,単純な事実確認から。バークリー・メソッドがいちばん成功したのは,モード・ジャズではなく,それ以前のビバップに代表されるコーダルなジャズだと思うのですが。コーダル・アプローチに関してバークリーは,ドミナントモーションとかサークルオブフィフスとか,非常にシステマティックな体系を持っているが,モードに関してはイマイチだと思う。これはナカムラが思うだけでなく,「憂鬱と感能」にもそのあたりがバークリーの限界だというように書いてある。いや,モードがイマイチでないとしても,バークリーがその地位を確立したのは,主としてコーダルな音楽に対するアプローチによってであろう。だから,「モード・ジャズを分析する手法としてバークレー・メソッドが台頭した」という指摘はあたらないでしょう。

しかし,これは多分,(ナカムラの間違いでなければ)単なるコメント主さんの勘違い(まさかコーダルなアベイラブルノートスケールをモードと勘違いしていることはないと思うが)であり,議論の本流には影響しない。コーダルなアプローチでもバークリーの強い影響をうけてジャズが発展した,というのであれば,ナカムラに対する批判は当を得ているわけだ。だからたとえば

>コルトレーンの「ジャイアント・ステップス」がモロにバークレーの延長で構成された曲であることも本書では指摘されているのに、読んでいなかったのでしょうか。

というとき,コルトレーンがバークリー・メソッドを勉強して「ジャイアント・ステップス」を書いたのか,それとも,あとからコルトレーンの曲をアナライズするためにバークリーシステムが進歩したかが問題である。後者だと思うのですが,どうですか?

「ジャイアント・ステップス」は必ずしもいい例ではないと思うが,一般的にバークリー・システムを身につけたジャズマン達がジャズを発展させていったというのでなく,すでにあるジャズのスタイルをバークリーがうまく整理したというのだとすると,ジャズ史にとってバークリーが重要,というのはあたらないでしょう。ナカムラの専門の物理のたとえで言うと, ランダウの「場の古典論」は相対性理論の教科書の定番だが,だからといってランダウが相対性理論の発展に重要な役割をはたしたとは言えまい。

>コード・システムはバッハが最初という突っ込みもナンセンス。

これはナカムラの書き方が悪かったようだ。すみません。もう一度読んでいただければわかると思うが,「コード・システムは昔からあった」というのがナカムラの主張で,そのわかりやすい例としてバッハをだしたまでである。バッハが最初とは言っていない。バッハがはじめようが,はるか昔のネアンデルタール人がはじめようが,議論の本筋には変わりない。だから,

>バロック時代に既に通奏低音+数字というスタイルのコードが存在しています。

というコメントは,ナカムラの主張と完全に一致する。そして

>バークレー方式はこれを受け継いだものであるという指摘が下巻にあるのですが、これも読んでいないのでしょうか。

というとき,バークリーが単にこれを受け継いで充実させただだけなのか,それともジャズの発展に寄与するなにか根本的な質的変化をもたらしたのかが,重要だろう。そして,その点について,東大アイラー本はほとんど説明をしていない(と思う)。もちろん,「バークリーという言葉は特定の学校をさすのではなく,もっと広い意味でジャズ的な楽理一般を象徴的に意味する」という主張はありだが,そうだとすると「バークリーがジャズに重要」というのは定義により常に真の命題で,なにも言っていないに等しい。

また,「ここで論じているのはジャズの歴史ではなく,ジャズの記号化の歴史だ」というならばそれは正しいかもしれないが,そうすると次のMIDIの話題と同じく「看板に偽りアリ」ということになる。読者のほうで勝手に看板を想像しているという面もあるが。どっちにしろ,そのあたりを著者が明示的に論じてないのは問題だと思う。(それとも,コメント主さんが主張するようにナカムラの読解力が足りないだけか?)

>MIDIが変えたのはジャズについてではなく、旧来の音楽観そのものではないでしょうか。

これは前の記事に対するUshiro氏のコメントの所でも書いたけど,ジャズ史の本という看板を掲げているかぎり「MIDIはジャズとは関係ないけど音楽一般として」というスタンスは非常にミスリーディングで不正実と言わざるを得ないでしょう。さらにナカムラが主として問題にしているのは,この本の理論的整合性ではなく,それを読んだときの「平均律・バークリー・MIDIでジャズがわかっちゃった」という疑似理解の方である。現に本文でリンクしたAmazonの書評にも明示的に「ジャズ」と書いてあるものが多い。

ということで,コメント主さんの

>結局、このブログの主どのは自分が理論的なことをなんにも知らないことを棚に上げてひとの批判をしているんです。

というご意見は少しは変えていただけるでしょうか? ダメかな? ちなみに音楽学校の名前は「バークリー」です。バークレーはサンフランシスコの近所,バークリーは地名じゃないけど所在地はボストン。モントルーとモンタレーくらいややこしいから間違うひとはおおいけど。

Dec 22, 2006

硫黄島

硫黄島からの手紙」を観てきた。少し前に前作の「父親たちの星条旗」(同じリンク参照)も観たのだが,感想としては前作の方が断然良かった。以前に本などで読んだことのある硫黄島の戦闘,とくに灼熱の穴蔵で水も食糧も尽きて殺されていくというシチュエーションが平板に描かれているのが原因かなあ,などと思ったのだが,良く考えてみると別の理由に思い当たった。

「父親たちの星条旗」アメリカ兵を,「硫黄島からの手紙」では日本兵を主人公にしているのだが,「父親たちの星条旗」では戦闘そのものではなくて,戦闘が終わったあとで偶像に祭りあげられ,人生が狂っていく兵士の話である。題材のヘビーさだと断然「硫黄島からの手紙」なのだが,ここで描かれている日本の狂気は,われわれは過去のもの,つまり歴史的事実として振り返ってみることができる。(完全にそうとは言いきれないところがあるが。)

それに対して「父親たちの星条旗」で描かれているアメリカの狂気は,実は,朝鮮戦争ベトナム戦争を経て,今現在もイラクやアフガンでの戦争に連綿とうけつがれているのではないか。イラク戦争で捕虜になった女性兵士がメディアの偶像にまつりあげられそうになった事件は記憶にあたらしい。これが「父親たちの星条旗」の方がリアリティを持って訴えてくるものがある理由なのではないだろうか。

「硫黄島からの手紙」に,アメリカ兵が捕虜にした日本兵を「連れていくのはめんどくさいから殺しちゃえ」とか言って打ち殺すシーンがある。これはひょっとしたら,今,あなたがこの文章を読んでいる瞬間にもイラクで起こっていることかもしれない。

Nov 26, 2006

国際免許 returns

今年の夏にオーストリアに行ってきたのだが,やっぱりオーストラリアと混同する人が多いらしい。というので,「オーストリア」はやめて「オーストリー」と呼んでね,とオーストリー大使館が呼びかけているようだが,勘違いするのは日本人だけじゃないらしく,「オーストリアにはカンガルーなどおらんのじゃ,ボケ!(オーストリア国民の感情を代弁して意訳)」というマグネットホルダーが現地の土産物屋に売っていたりする。

で,そのオーストリー旅行ですが,大半は車を借りて回ったわけです。そこで,以前に手に入れていた国際免許をもっていったのだが,レンタカー屋で車を借りるときに「もし,この国際免許なしで,日本語のやつだけだったら貸してくれます?」と聞いてみた。次に来るとき,いちいち国際免許とるのアホらしいし。

以前にも書いたようにそもそも国際免許ってじつは独立した免許ではなく,日本の免許の内容をいくつかの言語で解説した翻訳文でしかないので,もし,日本の免許の内容さえ相手に理解されれば不要なものである。ところが,レンタカー屋の答えは「日本語では意味がわからないので,お貸しいたしかねます」というものだった。まあ,これも理解できる。だって読めないものはしょうがない。(ナカムラはスミソニアン博物館で日本の免許証を「学生証です」と言って見せて学生料金でIMAXシアターを観たことがある。本当に学生だったのではあるが。)

ということは,日本の公安委員会が気を利かせて免許のウラに英語訳をつけてくれれば問題解決なのだが,多分,天下り団体の小遣い稼ぎになっているような国際免許の利権を彼らが放棄するとは思えない。(スミソニアンのIMAXにも学生料金で入れなくなるし……。)

そこで,ナカムラが考えたエクセレントな解決法。AvisやHertzなど全世界に展開しているレンタカー会社が日本の支店で免許証を確認し,予約をそこでして現地で乗れるようにすればいいのではないか? ついでに,頻繁に利用する客に対してはレンタカー会社が内容を保証するという形で免許証の英訳を発行してくれると,急な予定変更で予約なしでも車が借りられるし,事故などあったときにいちいち日本語の読める人間を探す手間もはぶける(IMAXにも入れるし……)。レンタカー会社にしてみれば,それで顧客の囲い込みができるわけだし,損はないサービスだと思うけどなあ。ひょっとしてもうやってる?

Nov 18, 2006

水からの伝言

ここを読んでいるみなさんは良くご存じのたざき氏「水からの伝言」を信じないでくださいという文章を公開しておられる。ナカムラはもちろん,公開当初から読んでいて,自分のサイトでも紹介せねばなどと思っていたのであるが,何か気のきいたコメントでもつけないと芸がないなあ,と思っているうちにネット上のあちこちで話題になって,思いつくようなことはあらかた言われてしまった。(いくつか読んだけど「やればいいじゃん反証実験」という記事とそれに続くコメントはなかなか面白かった。)しかもgoogle八分疑惑なんかもあったりして,いまさら書くこともないのですが,たざき氏の趣旨には賛同しますので,おくればせながらとりあえずリンク張っときます。

Nov 03, 2006

イベント情報

こういうイベントやります。ナカムラが司会です。なんてすばらしい。ご近所でお暇なかたは,ぜひ。

Oct 24, 2006

ヒミツ!

少し前より,大学のナカムラの部屋がある階のエレベーターの前に,誰が置いたか大きな段ボール箱が置かれている。

その後ろのホワイトボードに以下のように書いてある。

左下の字が小さくて読みにくいので拡大してみると:

ああっ! なにが入っているんだろう!? 知りたいっ! と思いつつも,のぞいたら「見たな〜」とか書いてあるなどというしょうもないオチに決まっているので,まだ見ていない。でも気になる,でも見たら負けかな,と思ってる,でも見たい,というだけの話題でした。

ひょっとして,のぞいてみると中からありとあらゆる魑魅魍魎悪鬼悪霊が飛び出してきて,でも最後にその底には「希望」が残ってましたっていうオチだったらどうしよう。

E=mc2

昨年8月の記事に最近コメントをいただいた(2006/10/18日)。お返事をしなけりゃ,と思っているうちに例によって日がすぎてしまって,そうするうちにMelvyさんに親切に解答をしていただいて,感謝。

ところで,ナカムラはやはり「E=mc2 という式から原爆が導かれる」というのには違和感がある。アインシュタインがこの式を提示したときには,知られている力は重力と電磁気力だけで,それを開放してエネルギーを得る方法はもうはるか昔からわかっていたわけである。そのときに「質量とエネルギーは等価なんだぜ」といわれても,まとまった質量からエネルギーを取り出すメカニズムを空想するのは困難じゃなかろうか?

実際に原爆が現実味を帯びてきたのは,核力の存在が判明して,フェルミ(だっけ?)あたりが核分裂およびその連鎖反応をみつけてからで,そのときは「質量をエネルギーにかえてやろう」というのではなくて,もっと直接的に「核力のエネルギーをとりだそう」という発想の方が自然である。結果的に質量欠損はおきるわけだが,それが研究の原動力というかキーポイントになるというのは不自然だ。

もし,相対性理論の完成が30年ほど遅れて,フェルミやオッペンハイマーが E=mc2 を知らなくても,核力がきわめて強い力で,しかも,核分裂が連鎖反応で起きるというのさえわかっていれば,マンハッタン計画のおおすじは変わらなかったんじゃないかな(場の量子論に相対性理論は必要だが)。だからentranceさんの書く「当時の列強各国がこの公式に目をつけたのは当然のことでした」というあたりは,多分,正確じゃないと思いますがどうですか?

Oct 20, 2006

疑似理解:東京大学のアルバートアイラー

最近話題の「東京大学のアルバートアイラー」という本を読んだ。これは東京大学でのジャズの歴史に関する講義をまとめたものである。行われた授業そのもののタイトルは「十二音平均律 → バークリーメソッド → MIDIを経由する近・現代商業音楽史」というものらしいが,それを本にするときに「東京大学のアルバートアイラー」というタイトルにしたのは,商業的にはなかなか秀逸。それはともかくとして,その原タイトル通り,本書の主張はジャズの歴史を理解するには「平均律,バークリーメソッド,MIDI」というのが重要なキーワードであるということだ。

この本の前書きには「ジャズ史に限らず,およそ人間が編纂する歴史は総て偽史である」という一文がある。つまり「正しい歴史」なんて決定版はなくて,編纂者のバイアスが必ず入る,ということだと思うが,それは正しいだろう。しかし,絶対に正しい歴史というものはなくても,絶対に間違っている歴史というのはいくらでも有りうる。たとえば,「関が原の合戦で小早川氏が東軍についたのは,Winnyで流出した個人情報をネタにゆすられてたからだ」ななどというのは,あきらかにおかしかろう。

そういう意味で,さきにのべた「平均律,バークレー,MIDI」というキーワードのうち,すくなくともMIDIについては,小早川Winny流出説みたいなものである。だって,現在聴かれるジャズのフォーマットは1980年までにほとんどすべて出揃っていて(アシッドジャズをジャズと呼ぶならこれが唯一の例外かな。M-baseってどうなった?),1983年に登場したMIDIがそれに影響をあたえることはありえないから。皮肉なことに,MIDIに関する解説であるはずの本書十章「MIDIとモダニズムの終焉」で紹介されている楽曲のうち,MIDIを使っているものは1曲もない。また,1983年以降でも,MIDIが本質的な役割を果たしているジャズアルバムは,ごく少数派だ(Tutu?)。たぶん,ジャズって,演歌とならんでMIDIの影響がほとんどないポピュラー音楽の最右翼ではなかろうか。

ジャズに本質的に貢献した20世紀のテクノロジーをいうなら,それはMIDIなどではなく録音技術であろう。楽譜にのこらない即興というものが本質の音楽を伝えるには,録音が不可欠だからだ(本当か? じょんがら三味線?)。とくに,次の世代のミュージシャンの卵たちがジャズを学ぶときにもっとも重要な修行が,録音された先人たちの即興演奏をトランスクライブ --- 耳コピのことね,同じことでもこういうとカッコいいでしょ? --- するという作業であることを考えると,録音技術とその大衆化の重要性は明白だ。

さらに「バークレー」というのも,ナカムラにはちょっと疑問だ。バックグラウンドの知識なしに本書を読むと,バークレーメソッドとは「演奏する音をいちいち楽譜で指定せずに,コードだけ決めといて,実際に出す音は演奏者の自由にまかせる」というのが本質のように感じるが,そんなことはバークレーのはるか前から行われている。バッハのブランデンブルグ協奏曲の中にコードふたつだけしか書いてなくて「あとは適当にやって」という曲があるのは有名だ --- よね?(実はナカムラは クラシックは詳しくない。)少なくとも,パーカーやマイルスなど,ジャズの歴史をひらいていった天才たちはバークレーメソッドなんて知らなかったことは言えるだろう。

しかし,実は著者たちは上でのべたようなことは百も承知で「いまさらジャズの歴史に録音技術がどうのこうのなんて言っても,面白くないじゃーん」みたいなノリでやっているのではなかろうかと思われるフシがある。そしてそのおかげか,本書は読みものとしては滅法面白い。なにを隠そう,本書を読み終わってすぐ,ナカムラは下巻の「東京大学のアルバートアイラー:キーワード編」と,著者たちの前著「憂鬱と感能を教えた学校」を買ってしまったのだ。それはともかく,本書を注意して読むと「平均律・バークレー・MIDIの三つがジャズの発展に本質的に寄与した」とはどこにも書いてなくて,「記号化のこころみ」というような意味のぼけた表現になっている。つまり,うがった見方をすると,巧妙に逃げ道が用意されているのだ。

というわけで,本書は読んで楽しむにはとってもお薦めなのだが,ちょっと気になるところもある。それは本書自体ではなく,それを読んだ人々の反応である。上でリンクをはったアマゾンのカスタマーレビューをみていただくとわかるのだが,「ジャズに対する考え方が一変した」とか「音楽の記号化のエポックに着目することで、こんなにジャズ史、音楽史がスッキリ納得できちゃうとは!!!」とかいう絶賛が多いのである。アマゾンに限らず,ちょっと検索エンジンでしらべて上位にあるblogを眺めてみたが同様である。

ホンマか?ホンマにわかったんか?と小一時間ほど問い詰めたい(ちと古い?)ところだが,上にのべたように,すくなくとも本書を読んでジャズとMIDIの関係が理解できるということはありえない。それ以外のふたつのキーワードについても,その指摘の当否はともかく,文中に具体的な解説がほとんどないので,それがジャズにどうかかわっているかを本書を読むだけで理解するということは,まずないだろう。

では,このような絶賛書評を書いている人たちは,見栄をはってわかったフリをしているだけなのか,あるいは,出版社のまわしものでヨイショ記事を書いているのだろうか? ナカムラが思うに,そうではない,この人たちの多くは本当にわかったと信じてしまって,いわば疑似理解体験をしているのだろう。なぜ,そんなことがわかるのかというと実はナカムラも本書を一読したときは「おお,なるほど」などと感じてしまったからである。

考えるに,ジャズというコムツカシイ音楽,斜にかまえた巧妙な語り口,ちょっと視点を変えた三つのキーワード,などという舞台装置にころっとだまされたような気がする。しかし,あとから冷静に考えるとちょっとまてよ,ということになるわけだ。新興宗教の勧誘みたいなもんだね。世の中,ジャズにかぎらずコムツカシイことを巧妙に語られると,なんとなく納得してしまう,それどころか「目から鱗が!」というように疑似理解をしてしまう,なんてことは結構あるのではなかろうか? だが,本当にわかったつもりになっているのは「ここでちょっと見栄はって,わかったフリをしてやろう」などというのより始末にわるい。すこし前に話題になった「知の欺瞞」関連のやつにも,そういう所ってありそうですね。

Sep 30, 2006

宇宙科学

毎年,春学期にナカムラは「宇宙科学」という授業をやっているのだが,これは宇宙についての基本的な知識を知ってもらおうというもので,気楽に聴けて面白い授業と評判である(といいな…)。で,学期のおわりに試験をやったわけだが,問題のひとつに

ある日あなたの友達が,「俺,いままで隠してたけど,実は宇宙人なんだ」と言い出したとき,それが嘘だと明確に示すにはどうすればいいか?

というのだしてみた。この問題の意図するところは二つあって,ひとつは,たとえば「相対性理論により光速をこえることはできないから,かなり近い恒星付近からきたとしても数百年はかかるはずで,なんたらかんたら」とかいう具合に,授業でやった宇宙に関する知識を動員して答えてくれるかどうかをみるというものである。

で,もうひとつの意図は,もちろん,ウケるネタを期待しているのだ。(しかし,いくらウケても点数には全く影響しません。来年受講するひとは勘違いしないよう。)で,第一の意図に沿った立派な答えもたくさんあったのだが,当然のことながらここでは第二の方を紹介しましょう。[四角括弧内はナカムラのコメントである。]

  • 宇宙人の特徴として(1)頭の一部に脳用の小型の心臓がある(2)頭頂部に伸縮自在の目がある(3)しっぽがある(4)地球人の5割増しの力がある,などがあげられる(以下略)

    [なんでそんなこと知ってるんだっ! ひょっとしてお前は本当は宇宙人か?!]
  • 何を言っても繰り返し「キュウジン」と答えるように頼み

    古くからいる → キュウジン(旧人)
    働き手を求める → キュウジン(求人)
    宮中に使える → キュウジン(宮人)
    私はともだち → キュウジン

    あ,いま,「ワタシハ,トモダ,チキュウジン」って言った!

    [ちょっとウケをねらいすぎてないかい?]
  • まず,その宇宙人にメールアドレスをきいてみて,最後が「.co.jp」や「.ne.jp」だったら地球人。「.space」だったら…恐ろしいことに…。

    [うーん,なるほど。これは気がつかなかった。]
  • 相手を死ぬ寸前までなぐる。(理由)宇宙人なら人間による攻撃で死にはしない。

    [本当か? 虚弱体質の宇宙人だっているかも知れんぞ。というか,本当は地球人だった場合,ヤバくね?]
  • 好きな人の前で「自分は宇宙人だ」と言わせる。ウソなら好きな人の前では,はずかしくて言えないはず。

    [なんかカワイイ。]

Sep 18, 2006

業務連絡

というわけで,報告が遅れましたが旅行から帰ってきました。行き先はオーストリア(+アラブ首長国連邦1日),楽しかった。岩や雪じゃなくて,普通の観光旅行です。前の記事に書いた日本語入力サイトを使って,海外からここを更新しようと思っていたのだが,あまりに遊びすぎて暇がなかった。

で,話はかわって,業務連絡。最近,ここのコメント欄にスパムが多くなったので,スパム防止対策をより強力なものにしました。ということは,いままで普通のコメントとして通っていたものも,はじかれる可能性があるわけで,もし,コメントを書き込もうとしてエラーメッセージをくらったら,中村までご連絡ください。さらに,スパムコメントを手動で削除するスクリプトを自分で書いたのですが,これにバグがあるかもしれないので,自分の書いたコメント消されちゃったという方もご連絡を。基本的に無断でコメントを消すことはありません。

Sep 01, 2006

海外から日本語メールを

をを! なんて便利な。

実は今日から夏休みで海外にいくので(そのまえにAGUのアブストラクト書かなきゃ…。),みなさんへの紹介をかねてここにリンクを置いとけば,ネットカフェなんかからでも日本語が入力できると思った次第。

Aug 24, 2006

夏の企画2:お前ら,ナカムラに物理を教えてくれませんか?

前回につづいてシリーズ第二弾。今回は題して「実はとっても簡単なことで訊くのは恥ずかしいのではないだろうかと思いつつも,考えてもよくわからんし,図書館に行っても文献なかったのでとりあえず教えて君スペシャル!」。実は物理というより物理数学の問題なのですが,よろしくお願いします。

関数Φ(λ,η)に対する線形の微分方程式

があったときに,これを変数変換せずに変数分離して

の形の一般解を得るのは,一般的に可能でしょうか? なんか一般的にはこの形にできないような気がするのですが…。具体的な問題としては,たとえばポアソン方程式を


(RとYは正の定数)

のような領域(バームクーヘンをx軸に並行な二本の線で切ったような領域)で解くときに

という変数を使うような場合です。

Aug 23, 2006

夏の企画:お前ら!70年代ブリティッシュロックを熱く語りませんか?

最近,このページの右にある「Guest Book」の欄で70年代ブリティッシュロックの話題がもりあがっているので,以下のコメント欄を使って思う存分語ってください。当然, ここにある12項目のうち,9項目以上が当てはまる方にしか発言権はありません…というのは嘘で,なに言ってるかわからん,よくそんなもんに熱くなれるのう,とかいうのもアリです。

Aug 18, 2006

ハートのエースが出てこない?

ジョーカーを除いたトランプ52枚をよくシャッフルして、その中からランダムに一枚抜き出すとしましょう。もし、そのカードがハートのエース以外だったら、あなたはその数字かける1万円もらえる、しかしハートのエースだったら、その回までに稼いだものを含めて、もっている金をすべて没収される。この賭けを何回かくりかえすわけだが、あなたはいつでも好きなときにやめることができる。ただし、ハートのエースをひいたらその回ですべて終了で、それ以上つづけることはできない。では、一定額の所持金からはじめた場合、何回めにやめるのが賢いか?

このページをお読みの理系オタクなみなさんなら、こういう問題はお手のもので、ちょこちょこっと期待値など計算してしまうだろうが、重要なのは正確な計算値ではなく、この賭けをいつまでも降りないと、必ず全財産を失うということである。一回の試行で所持金を失わない確率は51/52でかなり高い確率だが、これを何回もくりかえすと、51/52かける51/52 かける51/52かける…という風にどんどん確率は小さくなって行く。たとえば200回くりかえすと、所持金を失わない確率は約0.02、つまりほぼ確実に全財産を失う。一回だけの賭けならばラッキーして勝ち逃げできる可能性が高いが、それに味をしめて何度も賭けを続けていると、確実に破局が訪れるということだ。

さて、話は変わって最近の時事話題、アメリカからの牛肉輸入再開である。ははーん、ナカムラのやつ、確率の話をしてると思ったら、牛肉を食べ続けるといつか必ず狂牛病にかかるとか言いたいんだな、と思ったあなた、残念ながら話はもう少しひねってあります。

この狂牛病だが、最近読んだ本によると、もともとスクレイピーという羊の病気が牛に,そして牛を経由して人間に伝染するようになったのは人間の発明した技術が原因だそうだ。つまり牛に他の家畜の肉や骨を砕いた,いわゆる肉骨粉というやつを食べさせるという,いままでになかった効率的な飼育法によって,飼料にされた羊の病気が牛に伝染ったのである。そして、スクレイピーや狂牛病、あるいはクロイツフェルト・ヤコブ病は潜伏期間が数年から数十年と長いため、その因果関係をつきとめるのに、長い時間と多大な労力が必要だった。その原因がつきとめられるまでは,狂牛病とは原因不明の謎の病気で,肉骨粉という人間の発明がもたらしたものとはわからなかったわけである。

ということは、ですよ,今,狂牛病とは別の人間起源の問題がまさに現在進行中で,でもその因果関係などの全貌がわかるのに何十年もかかったりして,よくわからないうちにどんどんと災難が広がっていくということは十分に有りうることではなかろうか。そして,そういう災難のひとつが,何か人類に決定的な害悪をもたらす可能性は否定できないだろう。たとえば、携帯電話の微弱な電波が生殖細胞のDNAにすこしづつ影響を及ぼし、5世代先には不妊率が90%を越える、なんてことになったら、人類はそれを防げるだろうか?(あくまでたとえの話,現実的にはこの可能性は低いと思います。)5世代先になってその事実に気づいたとしても、もう遅いのである。

で、問題は、そのような破滅的な副作用のあるテクノロジーというのは、人類の繁栄が続く限り,必ずいつか開発され、人類を破滅に導くいうことだ。その理由は上に述べたトランプゲームと同じである。一度の賭けで負ける可能性はきわめて低くても、それを無限回繰り返すと、必ずいつかはハートのエースをひいてしまう、つまり破滅的な結果がもたらされるというわけだ(その前に強制的にゲームが中断されない、つまり、戦争や天災などの別の理由で人類が破滅しないとしてだが)。

これは(1)人類は自ら開発する技術から生じる影響をすべて確実に知ることはできない、(2)その影響の中には人類に破滅的影響があるものも存在し得る、(3)人類は破滅するまで新しい技術を開発し続ける、という三つの前提をみとめると、ほぼ数学的に演繹される命題である。上述の前提のうち、(1)と(2)はまず反論の余地がないだろう。(3)も今の社会をみると止めようがないように思えるが、社会通念というのは時代によって変わるので、何千年のタイムスパンではどうなるかわからない。

ということで、人類が自分で開発した技術によってもたらされる破滅から逃れるには、ある時点で「ああ、もう世界は十分に便利になった、これ以上なにかを発明するのはやめよう」と全員で合意して、賭けを勝ち逃げする以外にないのではなかろうか?

ナカムラ個人としては別の選択肢を考えていて、それは「人類の繁栄なんて無限に続かなくてもいいじゃん」というものである。現時点ではこっちの方が現実的に思えるんだけど。

コメント

いくつもコメントをいただいていて,反応せねばと思っているうちに日がすぎてしまいました。すみません。ちゃんと全部興味深く読んでます。これにこりずにコメントください。

Jul 31, 2006

Jul 18, 2006

シークレット・エージェント

さて,いまナカムラはセントレア空港にいるわけだが,なぜかというにシンガポールで開催されるAOGSなる学会に参加するためである。で,さきほど,空港の銀行で円をシンガポールドルに交換したのだが,そのときにいつものように名前と電話番号を書けといわれた。これって理不尽じゃないですか? なぜ外貨を買うだけなのに,こちらの個人情報を銀行員にあかさなければならないのだろう。銀行員といえども善人ばかりとは限らないので,電話番号をどこかにもらさないとも限らない。ナカムラのようなさえないオッサンは別にいいが,妙齢の女性などだと,ストーカー被害にあわないか不安ではなかろうか?

ナカムラは以前,住んでいたアパートに正体不明の勧誘電話やらなんやらが頻繁にかかってくるということがあってから,自分の住所や電話番号は極力書かないようにしている。そうやってみると,日本の国というのは通貨両替に限らず,電化製品を買うのからクイックマッサージをうけるのまで,いろんなところで不条理に住所氏名電話番号を要求されるのに気づきますね。数年前,やはり空港の銀行カウンターで両替をしようとしたときに,以下のような会話があったのを思い出す。

ナカムラ(以下中):これ両替お願いします。
銀行員(以下銀):あ,お客様,ここに電話番号をお願いします。
:いやです。
:は?
:電話番号を書くのがいやだといっているのです。
:しかし書いていただくことになっているのですが。
:「なっている」ってどのレベルで決まっているのですか? 単なる習慣ですか? 銀行の内規ですか? 法律ですか? それとも聖書か仏典に書いてあるのですか? そもそも,なんで両替程度のことに電話番号がいるのですか?
:いや,なにか手違いがあったときにご連絡差し上げられるように伺っているのです。
:ということは,おたくの銀行はそんなに手違いが起こるということなのですか?
:(怒怒怒怒…)

ナカムラは,このとき,普段慇懃な銀行員が本気で怒りをあらわにするのを初めて目にした。コワカッタ。しかし,今から考えると理屈っぽくて,ちょーイヤな客ですね。で,それ以降,ナカムラも反省して,なるべく波風がたたないように断るようにした。たとえば「引っ越したばかりで電話がまだないのです」とか,「外国に住んでいて,日本に住所はありません」とか。

さらに最近は個人情報保護法案などの関係で「電話番号書くのいやです」と言ったら,たいがいの場所で「あ,それなら結構です」とあっさりと認められるようになった。そうしたらそうしたで,なんかちょっと物足りない(←天邪鬼)ので,ナカムラは最近は 「個人情報は残さないことにしてるんです。実はCIAのエージェントなもんで」と言うようにしている。するとたいていの場合は 「ご冗談を」って感じでわらってすまされて,雰囲気なごやか。先ほど両替したときもそうだった。

一度だけ,金沢のクイックマッサージのお姉さんが目を丸くして「えーっ,本当ですか?」と訊いてきたことがある,こういう天然ボケな娘はいいなあ。いちばん困るのは,全くなにごともなかったかのように「ああ,そうですか。それなら結構です」と軽く流される場合。これは心底寒いです,100満ボルトのお兄さん。


…という文章は,実はセントレア空港での待ち時間に書いて,無線LANで自分のサイトに書き込もうと思っていたものだ。なんとなくモバイラって感じでカッコヨイでしょ? ところが,なんと,セントレアには無料のスポットがなくて,そのままシンガポールに行ってしまった。そして,シンガポールではこの文章のことはコロっとわすれていて,今,福井に帰ってきて自分の研究室から書き込んでいるわけだが,なんか,旅先で買って出そうと思っていて忘れてた絵はがきを,帰ってから切手貼って出すみたいでマヌケですね。

Jun 27, 2006

David Matthews

この写真をご覧ください(ちょっと重くてスミマセン)。のーてんきにギターを弾いているナカムラが写ってますが,実はその奥でピアノを弾いているオジサンに見覚えありませんか? David Matthews氏です。ということで,ちょっと自慢の写真でした。「え,デビッド? 昔ちょっといっしょにやったことがあるけど,なかなかいい味だしてたよ」とか言っちゃいそう。(実はステージの後の飲み屋でのジャムセッションでした。)

Jun 26, 2006

お返事

先日,見知らぬ方から,自分が画期的な研究成果(たとえば「相対論に代わる理論を造った」という類,実はちょっと毛色が違うが)をあげたので,専門家として検討してくれないか,というメールをいただいた。ときおりそういうメールをいただくのであるが,いつも以下のような返信をしている。今後,いっちょナカムラにメールでも送って自分の研究を宣伝するか,と思われた方はこれを読んで考え直していただきたいです。

拝啓 **様,

おたよりありがとうございます。しかし,誠に申し訳ありませんが、お力にはなれません。お送りいただいた資料も以下にご説明する理由で,目を通していません。私のような研究者のはしくれでも、ときおり**様からいただいたようなメールを受け取ることがあるのですが、毎回同じようなお返事を差し上げています。

以下のような例え話を考えてください。ある日、突然に見ず知らずの他人から「新潟の山奥にサウジアラビア並の油田を発見しました。これで日本のエネルギー問題は解決するはずです。つきましては採掘の資金が足りないので,投資をお願いします。」というメールを受け取ったとしたら、どう思われるでしょうか? ごくまれに、よし、これは大もうけのチャンスだ、と出資する人もいるでしょうが、大多数の人は無視すると思います。油田が見つかる可能性があまりに低いからです。多くの場合、新潟まで時間・費用をかけて確かめに行こうとはしないでしょう。

われわれ研究者は一般に油田開発ができるような財産は持ってませんが、研究時間というものはわれわれにとって財産以上に貴重な資産です。**さんのようなお問い合わせに答えようと思うと、それなりに時間を削って内容を検討しなければいけません。しかしその投資に対して石油がでる、つまりその研究が正しい可能性はきわめて低い。(もちろん,これは一般論です。冒頭に書いたとおり、**様のご研究は内容を読んでいないので判断のつけようがありません。)特に物理の専門的訓練をうけてない者によってなされた研究の場合はそうです。数学の場合はラマヌジャンという例外がいますが,物理の場合,20世紀に入ってなされた重要な物理的発見は,すべて専門的訓練をうけた研究者によってなされています。

ですから,私は**様のご研究を頭から否定するわけではありませんが,ある程度の時間をさいて内容を検討するというのはご勘弁願いたいのです。もし,ご研究が真に革命的なものだったとしたら,私の名前は,目の前に大油田がありながら見向きもしなかった頑迷無恥な科学者の典型として,後生の科学史に残るでしょうが,それは甘んじて受けいれます。

科学というものも、所詮、人間のいとなみですから、真に画期的な真理をみつけたとしても、それを科学者たちに理解させるのは並大抵のことではありません。真実を公表しさえすれば、だれか偉い人がやってきて、「おお、これはすばらしい」と言って認めてくれるというのを期待できるほど、世の中は甘くないのです。たとえばメンデルの理論は彼の存命中にはほとんど認められませんでした。ですから、もし、**様のご研究が真に革命的なものであっても、私のような研究者にそれを送ることによって世間にみとめられるようになる可能性は、ほとんどありません。もっと巧妙な戦略をとらないと、メンデルと同じ運命をたどるでしょう。

では、どういう戦略がいいのか、ときかれても私にはわかりません。思いつくのは高額の給料で専門分野の学生をやとうとか、懸賞金をつけて広く一般にその正しさを検証してもらうとかですが、そういうのが有効かどうかは不明です。ただ、確実に言えるのは私のような者に相談するのは100%無駄に終わるということです。

敬具 中村匡

Jun 12, 2006

ヤングライフ

先週末はお仕事で福岡に行ってきました。博多ラーメンファンのナカムラは2日で4杯ラーメンを食べたわけだが,博多駅ビルの商店街には「ヤングライフの街」なるものがあった。


ナウなヤングが集まるのだろうか? 

というのは実は今回の話とは全然関係なくて,前々回の千葉の学会から書こうと思ってた話題。千葉の学会で友人からきいた,最近放映されたテレビドラマの話(タイトルわすれた)である。そのドラマのヒロインの恋人役が若き数学者なのだが,プリンストンかどっかでポスドクをやっているという役柄で,マンハッタンの豪華なマンションに住んでいるという設定だったそうだ。うーん,やっぱり世間的感覚からはアメリカでポスドクをやっているというと,セレブなイメージがただようのであろうか? 実際にアメリカでポスドクをやった経験があると(ナカムラもそうである),それはPSPの理想と現実よりもギャップが大きいと思うんだがなあ…。

「ポスドクってなに」という方も結構いらっしゃるだろうが,そいう向きには,たとえばWikiPedia の解説など読んでいただきたい。ところで,この解説の最後に

…ポスドクの人数は増加した。しかしながら、ポスドクを経験した博士号取得者の行き先として考えられる大学・研究所の定員は増えていない。このことは、ポスドク問題と呼ばれる。
とあるが,これがポスドク問題の本質なのだろうか? たとえば,ロックミュージシャンをめざしてインディーズからCDを出す若者は多いが,それからメジャーデビューしてロックで食っていけるやつなんて一握りだ。「インディーズを経験したミュージシャンの行き先として考えられるメジャーバンドの数は増えてない」というのは「インディーズ問題」とは呼ばれないだろう。

クラシック音楽なんてもっと悲惨で,音大のピアノ科に行った友人にきくと,音大に入学したやつがプロのピアニストになれる可能性はほぼゼロだそうだ。プロになるようなやつは15才でショパンコンクールで優勝とかしているからである。だけど「ピアニスト問題」っていうのは聞かないでしょ? もちろん,ポスドクという制度についてはそれ以外にいろいろ問題はあるが,「希望者に比べてポストが少ない」というのは全く問題ではないと思う。(こんなこと書くとポスドクの諸氏に袋だたきにあって「祭り」とかになるのかな?おてやわらかに。)

May 27, 2006

デカン,ドデカン,クソデカン,バカデカン

これってちょっと危険。「ペンギンは2本足だから,ペンタンは2」とか間違わないだろうか? 「ウシは4本足だから4はウシン」とか。

May 22, 2006

千葉

過去に関東圏には結構長い間い住んでいたのに,千葉に東葉高速線という鉄道があったのを知らなかった。というわけで,その駅の夜のプラットフォーム。エージェント・スミスがでてきて「会いたかったよ,アンダーソン君」とか言いそうな雰囲気。

なぜ千葉かといえば,今週はナカムラは学会で千葉県幕張に行っていたのである。千葉に行く途中で所要があって上野駅にたたずんでいると「にいちゃん、仕事してんの?いい仕事あるよ」と声をかけられたのは、まあよくあることとして(注)、本題の学会ではまきのさんの講演を聴いた。イン・パーソンというかナマまきのというか、まあ、とにかくご本人にはじめてお会いしたのである。ナカムラがいじめたという説もあるが、そんな畏れ多いことは全くなくてわからないところを質問しただけである、犬塚さんはいじめてたけど。

でもまきのさんのいう通り、5分の説明ではわからなかったなあ。あとでさらにいじめよう質問しようと思ってたら途中で帰っちゃうし。でも「H 定理が証明できるかどうかというのは H 定理の証明の問題で物理の問題ではない」というのはそんな気もする。しかし、無衝突系の不可逆性という問題は、すくなくともプラズマに関しては未解決の,しかも重大な物理の問題だと思う(自己重力系ではちがうかも)。はたして熱・統計力学的記述が可能かどうかとかも。なんで他のプラズマ屋は気にならないのかなあ。

で,シンクロニシティというかなんというか,その日の晩はまきのさんの先輩である増井氏+青野氏と守屋純子オーケストラを聴きに行った。変拍子とかを使いまくって高度なことをやっていることはわかるが,苦労のわりに面白くない演奏だった。いや,悪い演奏ではなく,というか,たぶん,いい部類に入る方で,それなりに楽しめたのではあるが,終わったあとにプレーヤー達もあんまり楽しそうじゃなかったなあ。普通,こういうショウでノリまくりのプレイをしたあとではプレーヤーもとっても満足そうな笑顔なんだけど。なんか摂動展開とかして,プラズマ運動論の奥儀を駆使しまくって不安定を解いたらMHDの計算と2割くらい成長率が違うだけだった,っていうのと通じるものが…。(ごく一部にしかわからないたとえですみません。)

最後に千葉のJRの売店でみつけた,つっこみ所満載のポスター。強引!

(注)今回は職種をきいてみた。鳶と自動車部品の洗浄だった。(2人に声をかけられた。3人めが来そうだったので退散した。)鳶はちょっと興味ひかれたかも。

May 10, 2006

ひさしぶり

連休中に卒業生が遊びに来て,しばし談笑をしていたのだが,帰り際に

「いやあ,ひさしぶりにナカムラ先生とあうと楽しいわあ。」
と言ってくれた。いや,こっちもとっても楽しかったよ,などと言おうと口をひらく寸前に
「珍しい動物見てるみたいで。」
なんじゃ,そりゃ。

Apr 30, 2006

えひゃい

某掲示版の記事によると,ヤマゲンは約3週間髭を剃らなくても大丈夫だそうである。ナカムラも鬚は薄い方なので,ヤマゲンくらいの年のころは鬚など思い出したときにしか剃らなかったが,大人になるにつれてそうはいかなくなり,今では毎朝鬚を剃るのが日課である。ときおり忘れるけど。(ヤマゲンってだれやねん,という方が多いと思うが,そういう方はここまでの文章は忘れてください。) で,ナカムラはブラウンの電動シェーバーを使っているのであるが,先日,これを使っているときに,ちくりとした痛みを感じるので見てみると,こんな感じでアミバのまん中よりちょっと手前あたりが欠けていた。

げげ,こりゃ,新しいアミバ (網刃) を買いに100満ボルト (福井の家電屋です) までいかにゃあならんなあ,などと考えていたのだが,ふと思い付いてシェーバーを逆に持って,つまり上の写真で映っていない側を使って剃ってみた。なんてこったい,全く問題なく使える! そして,ナカムラはこれまでずっと,毎回毎回アミバの同じ側を使っていたことに思い当たった。理由は単純で,電源スイッチを親指で操作するとすれば,一通りに持ち方は決まってしまうからである。ということは,この写真の向こうがわには,広大な手着かずの処女地が広がっているということではないか! もしも,これに気づかずに100満ボルトで新しいアミバを買っていたら,古いやつはまるまる半分を使わずに捨てることになっていたのである。うーん,これはとても得した気分。

ところで,今ちょっと調べてみるとシェーバーの刃って18ヵ月で新しいのに替えなくちゃならないそうですね。みなさん,そんなに頻繁に替えてる?

Apr 28, 2006

げげっ

このページの観望の日付が「5月27日(金)」となってましたが,27日は土曜日ですね。正しくは「5月26日(金)」の間違いでした,いま訂正しました。それから,中村一族の名前が漢字一文字なのは彰氏 (さすがにこれが兄ではないでしょう) からで,彰氏の父親は忠三郎です。

などと言いつつ,遠路はるばる(というわけでもないのだが)このセミナーに参加してきたわけですが,これに対する田崎氏の問題意識

この世界に、未だ人類は発見していない完璧に正しく普遍的な物理法則があるのだが、それを定式化するための概念は、われわれのアーキタイプに蓄えられた「原・概念」とまったくもって対応していないとしよう。人類は、いつの日か、この物理法則を発見し定式化することができるか?

に対してナカムラが思うこと。ナカムラが思うに,われわれが「物理法則」として認識しているものは,世界が動く規則を人間型の情報集約法で整理したものではなかろうか。たとえば,スーパーコンピューター並の早さで暗算をし,光ファイバー並の情報伝達速度でしゃべる人間集団があったとすれば,彼等の記述する物理はわれわれのそれとは全く違ったものになるのではないか? そうだとすると「人類のアーキタイプと対応しない物理法則」というのは定義により存在し得ない。いや,しかし,やっぱりそういう「スーパー情報処理人類」がいたとしても,物理は変わらないのでは,という気もする。ヨクワカリマセン…。

それとは別に,「アーキタイプ」 (英語でarchtype, 実はこの単語知らなかったのであとから辞書でひいた) なるものはきわめて個人的なもので,人によって物理の理解のしかたが違うのではないか,ということも考える。以前にこのサイトのどっか書いたが (探すの大変なのでリンクはパス),たとえば,音楽の認識の仕方は絶対音感がある人とない人で決定的に違う。それと同様に,「エネルギー保存」などの物理的概念は人によって違う理解のされかたをしているのではなかろうか。(ここで言う「理解」というのは正しく数式が書けて,ひとに説明できるというレベルではなく,なにか新しい理論を考えているときの直観の源となる,説明しがたい意識下のイメージのことです)。

Jung-Pauli-Wiegel-Tasakiとつづく議論をイマイチ正しく理解している自信がないので,よくわからないのではあるが,ともかく,あのセミナーに村上陽一郎氏が来ているとは知らなかったのは事実である。多分,ナカムラのとなりに座った人ですよね。イメージ違う,びっくり。

Apr 13, 2006

PR

一部で中村兄が話題 (ここの4月11日のコメント参照) になっていますが, このページなど御覧になると何者かわかるわけで,御近所で呼吸器系の病気でお困りの方はぜひお越しください…などと言うと公共の資産である福井県立大学のコンピューターを使って身内の宣伝をするようなので,もちろんそういうことは言いませんが,話はかわって,先日,Cool Jokeのライブに久々に行って来まして,とっても良かった,そして,新作のCDは本来の彼等らしい,ストレートアヘッドな内容で,是非,おすすめの一枚です,などというのも宣伝になるかも知れないが,このバンドは福井県立大学の軽音部出身なので大学の宣伝にもなっているのでいいかな,などとも考えるわけで,でも実は本題の宣伝はこれなわけです。よろしくお願いします。

Apr 03, 2006

19×19

先月はこのページの更新がなかったが,なにをしていたかと言うとスウェーデン,京都,金沢,東京と各地を巡業 (?) していたのである。で,先週は最後の巡業地の東京にいたのだが,単に夜歩いているだけなのに不審尋問をして,名前を言わなかったら交番でしぼるのはやめてほしいです,新宿警察のみなさん。いや,「しぼる」というのは語弊があって,不審尋問は法的な強制はできないので,あくまで「お願い」なのだそうだが,拒否するのに30分以上かかる「お願い」ってなんなんだ? 歌舞伎町の客引きだってそこまで粘らないぞ。
それにしても,なんでとってもたくさん人の歩いている新宿の繁華街の雑踏の中で,ナカムラだけがピンポイントで不審尋問されるのだろうか? そんなに怪しい恰好はしてないんだけどなあ。みなさん,歩いているだけでお巡りさんに声をかけられたことありますか? (ナカムラは過去に何回かある。警察じゃないけど真昼の新宿を歩いていたら「1日1万2千円(1万円だっけ) で働かんか?」と誘われたこともあったなあ。あれって, 実は結構ヤバい仕事の誘いじゃなかったのだろうか。「やります」って言ってついて行ったら今ごろどういう人生になっていたのだろう。あと,やっぱり新宿でゲイにナンパされたこともある。俺ってセクシーなのかなあ?)

まあ,そんな風に素敵な東京滞在を楽しんでいたのであるが,大学時代の音楽サークル (POMPです) の旧友と久しぶりに再開して飲んだ晩もあった。みなさんおなじみの「ネットで一番有名な増井」氏などもいたわけであるが,たまたま大学サークルのみならず,高校まで同じ旧友が3人がいたので,高校時代のまきのさんの話題などきいてしまった。ナカムラはまきのさんとは直接面識はないのだが,あとのふたり (ますい+あおの) が物理研究部だったので,よく知ってるそうな。次回はまきのさんもご一緒にいかが?

それ以外にも増井さんが鎌倉の雑木林で首つり死体をみつけたなどの心和む話題でもり上がったわけだが,今日の話題はその増井さんのMIXI日記(ところで,このページってコメントまで公開してしまって文句は来ないんですか?)のこの文章。さらに,カネゴン氏のページ経由で,19×19的な話を見つけてちょっと考えたのだ。こういう話をするときって,算数の能力と数学の能力という別のもの (相関はあるかもしれないが) がごっちゃになっていることが多くないですか? まあ,大雑把なたとえをすると,書道などできれいな文字を書く能力と,小説などで名文を書く能力を同じに論じているようなものだ。
偉大な数学者でとびぬけた暗算能力があるものは確かに多い。フォンノイマンなんかは電話帳のページをひらいた瞬間にその電話番号をすべて足してみせたそうだ。しかし,そうでないやつも多くて,たとえばクンマーは7かける9を計算するのに「69は大きすぎるし,67は素数だし,65は5の倍数だから,多分63だろう」などとやっていたらしい。(7かける9は知らないくせに67が素数なのを知っているところが面白い)。だから,九九の能力をもってして数学的才能をむすびつけるのはちょっとずれている気がする。(もちろん,ある程度関係はあるだろう。増井さんが書いている「コツを覚えれば」 --- ちなみに「憶えれば」が正しくないすか? --- という計算法やこのページのガウスやガードナーの話は数学的能力に近いものがある。)

ナカムラの専門(プラズマ物理学)のように応用として数学を使う商売でも,とくに理論研究では実際の値を求める計算はそれほど重要ではない。実はナカムラの経験では --- ということは,ナカムラの専門の狭い分野に限ったことかもしれないが --- 本質的な計算でπとeと2以外の数がでてくることはあんまりない気がする。だから,ナカムラは計算していて3とかがでてくると,計算間違いを疑う。7とかがでてきたら,ほとんどの場合が間違いだ。いや,もちろん2以外の数もたくさんでてはくるのだが,それはなんらかの変数から計算されたもので,そこにわれわれの世界の数を代入したからそういう数になっている,という場合がほとんどだ。たとえば8なんかは計算によくでてくるが,実はこれは2の3乗で,3というのはわれわれの住んでいる世界が3次元だから,などとということが多い。ほかにもいろいろ数がでてきても,それは電子の電荷と質量の比だったりとか地球の半径だったりとかして,現実世界で計った値を代入すべきものである。したがって計算のほとんどはxとかαの変数を操作する作業で,値をもとめるのは (もしその必要があったとしても) 最後に電卓か計算機でやることになる。だから19×19の暗算ができてもあんまり嬉しくないと思うけどな。

ところで,以前から思うのだが,九九の「1の段」ってとっても不毛じゃないですか?

Mar 03, 2006

業務連絡

福井県立大学+SGEPSS+その他各位。明日から一週間,ナカムラは日本におりません。行き先のネット環境もよくわからないので,メールも毎日は読めないかも。

Feb 28, 2006

雨の中では走った方が濡れない

ちょっと期を逸してしまったが,ナカムラ愛読の「医学都市伝説」のこの記事について。この中の15番目の「 雨の中では走った方が濡れない」だが,ナカムラは以前に友人(M場氏だっけ?)と,この問題を検討したことがある。

  1. まず,雨粒が落ちて来ずに静止しているものとしよう。この中を移動すると,宙に浮いている雨粒が体の前面にあたるので,濡れることになる。
  2. 雨粒が静止していると仮定しているので,体の上面は濡れない。よって,濡れるのは体の前面だけである。
  3. この場合,移動中に体の前面にあたる雨粒の数は通過した空間の体積に比例する。ということは雨粒が静止している場合は,濡れる量は移動速度によらない。
  4. 実際には雨粒は下に向けて動いている(降っている)ので,これによって体の上面が濡れる。この量は雨の中にいた時間に比例する。
  5. 体の前面が濡れる量は雨粒が静止していても下に動いていても変わらない。
  6. したがって,濡れる総量は雨の中にいる時間が短い方が少ない→走った方が濡れない。QED。

だったと思うんだが,ネタ元のページを見ると,「ちゃんと数式で解いてみるとわかる」「キミが思ってるほど単純じゃないぞ」などと書いてある。上の説明では数式はいらんが,実はナカムラが思っているほど単純じゃないのか?

ところで,このネタ元のページって,それぞれの項目にちゃんと写真があって,5秒ルールのところにある落ちたアイスクリームの写真にまでクレジットがある。うーん。

Feb 27, 2006

Instractional Design

みなさん,インストラクショナル・デザイン(略してID)というのをご存知であろうか? 恥ずかしながら,ナカムラは一昨日までなんのことか知らなかった。たとえばここの解説など御覧頂くと概要がわかると思うが,いわゆるe-ラーニング(コンピューターを使った教育)の普及にともなって,最近注目されるようになってきた,大学や企業内研修での教育内容を改善する手法である。実は昨日から こういう感じのIDに関するセミナーがナカムラの勤める大学で開催されて,新しもの好きなナカムラはそれに出席してきたのである。そのセミナーの終りに,「ではそのIDなるものを本学に導入するには,どうすればよいのか」みたいなフリーディスカッショションの時間があった。

この写真は,そのとき黒板にピックアップされた議論項目だ。(ちょっとブレててごめんなさい。) で,議論がもりあがってきたころに,後ろに座っていた同僚から以下のようなメモがまわってきた。

「ID」が「えろ」に見えてしょうがない。

ナカムラが,残りの時間の全精力を笑いをこらえるのに費したのは言うまでもない。ああっ,講師の先生ごめんなさい!

Feb 21, 2006

今日の疑問など

  • 毎日新聞の「お葬式:カメラ付き携帯で最期の顔パチリ」という記事。 お葬式の際、亡くなった人の顔をカメラ付き携帯電話などで撮影する人が増えているという話題だが,「葬儀デザイナー」って職業があったのは驚き。食えるんだろうか? というのが疑問ではなくて,その記事の最後にあった

    メディア社会論に詳しい評論家・武田徹さんは「対象を撮影し、他者とともに確認しなければ“リアリティー”が感じられなくなっている。葬儀も焼香だけでは満足できず、故人との確かなつながりを持ちたいとの思いから撮影するのだろう」と分析。
    ほんとうかっ? ほんとうにそう思っているのか武田さんっっ! と小一時間も問つめたい。こんな風な,なんとなく読み飛ばすとなにか意味がありそうだが,よく考えるとなんの根拠もないヨタ話のような「分析」って,新聞なんかの社会ネタの記事でみかけるけど,なんのためにあるのだろう?

  • 実は武田徹氏というのは.,ナカムラは以前からオンライン日記を読んでいて,同じく愛読している「おおやにき」でボロクソ書かれたりしていても,それなりに評価をしていたのだが,ちょっと幻滅。

  • その武田氏の日記からリンクされていた大塚英志シンポジウムジャック事件。やるなあ。

  • それとは,全然関係ないが,カーリングってなんで男女別で競技をやるんだろう? 男女差ってほとんどないような気がするんだが。どなたかご存知でしたらご教示を。

Feb 13, 2006

ジャルダンで夕食を

少し前にコカコーラ社がTADASなる飲料を発売したが,今調べるともう売ってないようだ。ちょっと安心。ところで,それよりもっと前に「はちみつレモン」というのがあったのを御記憶の方も多いだろう。では,この「はちみつレモン」,どこの会社が造っていたか憶えてますか? じつはこれは一社だけでなく,こんなにたくさんの会社が参入してたのです。聞く所によると,もともとはサントリーが開発してヒットしたのだが「はちみつ」も「レモン」も一般名詞で,しかもサントリー以前に「はちみつレモン」という飲み方があったらしく,商標登録ができなかったために,こんなに乱立することになったそうな。

で,なんでこんなことを思い出したかというと,昨今「勝ち組・負け組」という言葉が目に着くようになり,それに対して「それはもともとの語源とは違う意味でつかっておる」などという指摘を見掛ける(たとえばこれとかこれとか)からだ。だって「勝ち」も「組」も普通の名詞で,それを組み合わせた言葉って,別にブラジルの専売特許じゃないでしょ? だったら,1990年代に独自に開発され,使われ始めた言葉だってことでもいいのではなかろうか。

まあ,それはともかく,よく言われるのは日本の社会が世紀のかわりめあたりから二極化してきて,金持ちの「勝ち組」と貧乏の「負け組」にわかれつつあるという話である。「勝ち組」の連中は1000万以上の年収を稼ぎ,ベンツに乗ってジャルダンでフランス料理を食べ,休みには日本アルプスの麓の別荘に遊びにいくのに対して,「負け組」は年収300万,ダイハツかスズキの軽に乗って,ガストで飯を食い,芦原温泉に遊びにいくというわけだ。

しかし,考えてみるに,これって本当に二極化だろうか? だって,かかった金額が違うだけで,生物としてやってることは大差ない気がする。もし,別の惑星から宇宙人がやってきて,密かにわれわれの行動を観察していたとすると,ベンツに乗ろうがダイハツに乗ろうが,内然機関の輸送機械を使って移動するということに差はなかろう。いや,宇宙人じゃなくても,やってる本人たちも楽に移動できるという点では大差ないではないか。

あるいはジャルダンで家庭内離婚の配偶者と世間体のためにいっしょに飯を食うより,貧しいながらも惚れてる彼女(あるいは彼氏)とガストで,というほうがはるかに楽しいのではなかろうか。(これは別に金持ちだと家庭内離婚で貧乏だと純愛,というわけではなく,ジャルダンかガストかの差はさほど重大でないと言いたいだけです。金持ちで純愛のやつもいるわけだ,ちょっと腹立つけど。) つまり,勝ち組生活も負け組生活も,金に換算しないで実質的内容を考えると,わりと差はないのではなかろうか,と思われるのである。

要はベンツ対ダイハツ,ジャルダン対ガストというふうに,価格の差こそあれ,ちゃんと対応したものが勝ち組にも負け組にも存在するということである。これが,高度経済成長前の日本だったりすると,貧乏人は車が買えないので遠い道のりを歩かなくてはならないし,戦後間もないころは,金がないと一家で一杯のかけそばしか食べられなかったりするわけで,宇宙人がみても大きな違いである。いや,現在でも貧乏で餓死というのはないわけではないし,逆にITバブル紳士だと車じゃなくて自家用ジェット機で女優と海外に行ったりして,そういう差はあるのだが,これは今も昔もある両極端の話であって,「二極化」といわれる一般大衆の話ではなかろう。

で,もし,ジャルダンじゃなくてガストでもいいよ,と思えばシャカリキに頑張って働くのはバカらしい,ということでいわゆる上昇指向のない「下流」になるわけだが,それってまったくもって合理的な選択だと思いません? いわゆる「ゆとり教育」ってそういう非シャカリキを目指してたんじゃないだろうか。それに対して,やっぱりジャルダンがいい,あるいは,飯はなんでもいいが,なんらかの意味で「勝ち組」でありたいと願って身を粉にして働くのなら,それはそれでナイスな人生ではあると思う。

そういうチョイスがある社会ってある程度豊かさがないと実現されないわけだが,「勝ち組」が生きがいとして必死で働いてくれるおかげで日本社会が豊かになっているとすれば,なかなかいいシステムだろう。以前,ナカムラの友人で,「勝ち組」に分類される職業のやつが,「一週間に100時間働いた」と言っていた。考えてもみてください,この場合,一週間っていうのは月曜から金曜までだから,120時間しかないんですよ! たぶん,人類の長い歴史を調べて,苛酷な奴隷制度を色々さがしてみても,120時間のうちの100時間も働かされる例はあまりないと思う。でも,それが生きがいとして充実して働いているのだったら,素晴らしいことだし,そのお蔭で「負け組」でもちゃんと楽しい生活ができるようになるのだから,一挙両得というか,とっても結構なことではなかろうか。

ちなみに,ここまで読んで「ジャルダンってなに?」という方も多かったであろうが,福井のおしゃれで高級なフレンチ料理屋です。これ。ナカムラは行ったことがない…。

Jan 31, 2006

ネットサーフィン

最近のネットサーフィンから
  • ことばあそび。ちょっと違うが,「かかんかんかひかかんかんかかかんか」 = 「可換環か非可換環か書かんか?」

  • さらにちょっと違うがだば、アベベだべ?。笑った。北斗神拳ネタにもっていきたいのを踏みとどまるもおかし。

  • 大江健三郎と接近遭遇。接近遭遇といえば,ナカムラは某ジャズクラブのトイレにて,ソニーロリンズの隣で用を足したことがあるのが自慢だ。

  • ねじれ。これはまったくもって同感。この状況に「ねじれ」という言葉をあてるのには違和感あるけど。

  • 人間のような巨大なけむくじゃらの生物。単に巨大なけむくじゃらの人間だったりして。毛深くて背の高い近所のおじさんとか。

Jan 26, 2006

「風車と老人ホーム」

国土地理院の新しい地図記号 「風車」と「老人ホーム」が決まったそだが,下の「老人ホームの例」って写真,どこの老人ホームでなぜここに選ばれたのであろう? つーか,実物の例の写真って必要なのか?

それはともかく,「風車と老人ホーム」ってなんかちょっと詩的なひびき。

Jan 25, 2006

そこにカネがあるから

前回の文章にいただいたK氏のコメント「そういうところが世俗を超越した物理学者っぽくてヨイ」ですが,実際にナカムラに会ったらあまりの俗物さに驚きおののくと思います。そもそも,物理に限らず,ある特定の職業集団のなかにもいろいろな人がいるわけで,ある一定の傾向 (たとえば理系研究者ならオタクが多い) はあるかもしれないが,多くの人はその職業分野が得意という他は,普通と変わらないのでは? というか,その中には変人もいるが,それは普通に変人がいるようにいる変人なわけで,まあ,いわば,普通の変人,ああ,なに言ってるかわからんくなってきた。

それはともかく,ナカムラがここに世間一般のニュースをあまり書かない理由は,なにかニュースを見て感想をもっても,ネットサーフィンしているうちに似たようなのをどっかでみつけて「いまさらオレなんかが書かなくても」と思ってしまう,というのも多いかもしれない。とくに意識しているわけではないですが。

最近のニュースに関して,ちょっと書いてみると,ライブドアの堀江氏に対して「金のことしか頭にない」という批判をよく見るけど,これってなんでイメージわるいのかな? もちろん,堀江氏個人に限っていえば,汚い手 (法にふれる,ふれないにかかわらず) を使うのは最低だし,いろいろ噂をきくと友達にはしたくない人物なのだが,一般的には「金をもうける」という目標をマジで追求しまくるのは,唾棄すべきことなのだろうか。

多分,堀江氏の目的は,もうけた金で六本木ヒルズの月額家賃数百万円の部屋に住み,女優と自家用ジェット機で海外旅行をするため,というわけではないと思う。前回の文章で書いた「切りたくてしょうがない外科医」と同じように,金をもうけるのが楽しくてしょうがないのではなかろうか? そうでないと,平均的生涯賃金の数倍ももうけたら,「もうやめ,おなかいっぱい。ああしんどかった」となると思う。「そこに山があるから登る」という登山家はカッコイイのに「そこにカネがあるからもうける」という投資家はなぜかイメージ悪いですよね,いや,ナカムラ自身にもそういう感情はあるのだが。なんでだろう?


ところで,話は全然かわりますが,たざきアンテナにこのサイトが捕捉されなくなったみたい。1月9日の以来,更新されてない。実はナカムラは自分のページにコメントがついたかどうかをこのアンテナ経由でチェックしていたので,とっても不便なんですけど(←かなりあつかましい)。あらきアンテナも同じ。ここのお客さんって,こういうアンテナ経由の人が多いと思うのだが。といっても,メール出すほどではないしなあ。たざきさーん,あらきさーん。

公共事業

ちょっと前の話になるが,日本海側の某県に定期旅客便の発着する飛行場を造ろうという計画があった。この手の公共事業の常として,飛行場がないと住民が不便というのが動機では,もちろんない。「うちの県にも飛行場ぐらい」という一部県民の漠然とした要望を背景にした,土木建設業をはじめとする地元産業の利潤追求が主たる目的であろう。ところが,その飛行場予定地から車で1時間ちょっとの場所に他県の飛行場があったりして,とても採算がとれるとは思えない。飛行場推進派がわの試算でも,予想される需要では採算ラインの半分の利益しかあがらないのだ。一般に推進派がわの試算というのは大甘な見積りをしていて,あの巨大借金製造機のようなアクアラインとか本州四国連絡橋なども,事前の試算では黒字になるはずだったと記憶している。そのように甘い試算をしても採算ラインの半分ということは,まったく問題外ということだ。

ところが,推進派は「現時点はこの程度しか需要がみこめないなら,どうやって需要を増やすかが次の課題だ」というとんでもないコメントをしていた。「神がいないのなら,造らなければならない」というわけだ。常識で考えれば,もうからないのなら中止しかないのだが,まず飛行場ありきで動いている人々にはそういう発想はない。恐ろしいのは,そういう環境にどっぷりつかっているうちに思考停止状態になってきて,「どうやって需要を増やすかが次の課題だ」とかいうことを本気で言ってしまうようになるところである。この県の場合,幸いなことに諸般の理由から計画は中止になったが,不幸にも完成してしまって,じゃぶじゃぶ税金をつぎこんでも赤字まみれ,という飛行場は日本には結構あるんじゃなかろうか? (ナカムラは少なくともふたつ知っている。)

さて,話はかわって,科学観測人工衛星の話。ナカムラは直接参加していないが,とある科学観測衛星にある観測装置を積むかどうか検討しているときに,その観測装置の製作チーム内で「この観測装置を使って研究する対象をなんか考えよう」という会議があったらしい。これ,さきほどの飛行場の話と同じじゃないですか?「旅客がいるから,それを運ぶために飛行場をつくる」=「知りたい科学的対象があるから,それを研究するために観測装置をつくる」および「飛行場のために,旅客をどっかからつれてくる」=「観測装置のために,研究対象をなんとかひねり出す」。科学観測衛星の場合,成果が評価しにくいだけにさらにタチが悪い。飛行場の場合は大赤字になれば,やっぱマズかったという判断ができるが,科学の場合は何が得られたのかよくわからないままに,じゃ,次のプロジェクトいってみよう,となってしまうことが多々ある。

ちょっと解説しておくと,科学観測衛星の多くには複数の観測装置(たとえば画像を撮るカメラだとか,電磁波を計る受信器だとか)がのっており,それぞれを専門とする開発チーム(多くの場合は大学等の研究室)が存在する。そして,衛星の計画段階でどのような観測器を載せるかを決め,選ばれたチームが人工衛星プロジェクトに参加するわけである。たとえば着陸せずに惑星の周りを周回するだけの衛星に地震計を積んでも意味がない。地震計は,まあ極端な例だが,限られた衛星重量の中で最大の科学的成果をあげるには,意味の薄い観測器を載せるわけにはいかない。したがって,第一義的には「この研究のためにはどんな観測装置が必要か」というものでなければならないのだが,現実にしばしば目にするのは,上述のような「飛行場つくるから,客みつけてこないと」というものになる。もちろん,実際につくってみたら,大量の需要があって飛行場は混みまくり,もうかりすぎて困っちゃう,というのならいいが,世の中そんなに甘くない。科学の世界だっておんなじだ。

ナカムラは以前,とある大規模科学プロジェクトの中枢メンバーの会話の席にいあわせたことがある。そこで,ある主要人物が「このプロジェクトのサイエンス(科学的成果)には,だれも期待していない」と平気な顔で言い放ったのを聞いて,ナカムラはのけぞった。公共事業の担当者が「住民のためにはならないけどね。」と言うのと同じだ。さらにびっくりしたのは,その場のだれひとりとして,それに反論しなかったことである。プロジェクトの中心メンバーはだいたいそこにいたのに。その発言の主は多くの業績もあり,尊敬できる科学者なのだが,普段から彼は「このコミュニティー(「業界」という程度の意味か)の維持・発展のために」とよく言っていた。こんな奴にはなりたくねえぜ,と心底思ったが,「ええっ? そんなんでいいんですか」という程度の反応しかできなかった自分も情けないとも感じた。

恐ろしいのは,この手の本末転倒を,本人たちは全く気づかずに当然のこととして受け止めているところだ。彼らは自分たちの仕事に誇りさえ持っている。これは無駄だらけの公共事業を誠心誠意推進する公務員と同じメンタリティーだろう。賄賂をもらって「おぬしもワルよのう,ふぉっふぉっふぉっ。」って感じの奴のほうが,まだ救いがあると思うなあ。

と,以上が,前回の文章にいただいたnq氏の「研究の公共事業化」コメントに対する反応である。ナカムラはnq氏に全面賛成なのだ。前回の文章のたとえで行くと,人が切りたくてしょうがない外科医が薬で治る人間でも手術しまくるようなもので,実は「あ〜,残業しんどい。ま,でも,給料のため,お仕事,お仕事。」って感じのやつよりこっちの方が数段有害ではある。科学研究の場合は,無能で研究してないやつは給料だけの無駄ですむが,公共事業的ビッグサイエンスをやっている奴は億単位で無駄をだしているわけだ。科学衛星業界の名誉のために言っておくと,このような公共事業的研究は多くの金がからむ多く(すべて?)の分野でみうけられる。 理想は,人が切りたくてしょうがなくても分別をもっていて,本当に必要な患者にだけ神技的な手術をほどこす外科医というのだろう。難しいけど。

Jan 18, 2006

最低

かなり以前になるが、外科のお医者さんと夕食をともにする機会があって、そのとき、外科医として成功するメンタリティーとはどんなものかが話題になった。彼が言うには、高尚な使命感に燃えて「病魔に苛まれる人々に愛の光と外科の技術を」っていう感じのやつとか、逆に世俗利益第一主義で「この腕でゼニつかんでビッグになったる」とかいうタイプはダメだそうである。

では,どういうのがいいかというと、とにかく脊髄反射的に手術が大好き、人が切りたくて切りたくてしょうがない、一週間夏休みをとったりすると欲求不満でウズウズしてきて、休み明けに病院に行って「ああ、これでまた人が切れる♪」と喜ぶタイプが本物になるらしい。げ、なんてあぶないやつ、と思われるかもしれないが、考えて見ればプロフェッショナルというものは、音楽にしろスポーツにしろ、そういうものかも知れないなあ。ナカムラだって研究者のはしくれで、一応自分はプロだと思っているわけで、たとえば腰痛で寝ているときにでもこんなことを考えているわけである。このページを読んでらっしゃる同業者のみなさんも、寝る前に床のなかで考えることの多くは、今の研究関連ではないだろうか。

ところが、大学で「研究者」という肩書で給料をもらっているセンセイのなかには、そうでもないやつもいるらしい。某大学で研究評価に関する意見募集をしたところ、「サービス残業までして生まれてきた研究を年俸に反映させるというのは,いきすぎた競争で、職場の健全性がそこなわれる」という趣旨のコメントがあったそうな。げげっ、なんやこいつ! 「健全性」なんて意味不明の根拠をあげてるのも驚くが、そもそも「サービス残業」なんて言葉がでてくるところに、ナカムラは違和感を感じる … ああっ、「違和感」って、なんてマイルドなオトナの表現なんだ,はっきりと「最低だ」と言ってしまおう。さぁぁぁいっっっていっ、だっ! プロのスポーツ選手が「サービス残業までして練習して得た技術を年俸に反映させると、職場の健全性がそこなわれる」と言っているようなものじゃないか。

実際に年俸に反映させるかどうかは別問題として、こういうメンタリティーのやつは研究者として失格であろう。もちろん、大学では研究以外に教育などの重要な仕事もあるので、こういう人にはそっちの方で頑張ってほしい。で、そっちでも頑張れないようなら年俸が減っても文句言えないんじゃないか。

でも、ちょっと話はずれるが、大学のセンセイって、銀行の護送船団方式とかは批判するくせに、自分のこととなると横並びのチィチィパッパが好きなんだよなあ。幼少のころから受験勉強で勝ち上がってきて、大学院を経てアカデミックポジションにつくまで,ずっと他人を蹴落とし続けてきたくせに、自分が蹴落とされる番になると「いきすぎた競争はこのましくない」なんて寝言を言うんだよね。プロの世界だったら競争はあたりまえだと思うんだが。

Jan 09, 2006

冬休みの宿題

この3連休は日本海側でまた大雪だそうで,福井でも昨日の晩から結構降っている。もう,今週から仕事はじめの人も多いだろうが,ナカムラは大学勤務なので,この連休いっぱいは冬休み (実は学生さんは冬休みなのだが,教職員は4日から働いてはいます)。というわけで,みなさんの冬休みはいかがでしたか? 恥ずかしながらナカムラはスキーに行ったら持病の腰痛が再発して,2日ほど寝て暮らしてました。もう大体治ったからまたスキーに行ける。ヘロインのやりすぎで死にそうになって,病院で血液総とっかえとかのヘビーな治療をして,やっとましになって出て来たときに「あー,気分いい。これでまたヘロインがやれる」と言ったキースリチャーズの心境か (そんなたいしたもんじゃないが)。

考えてみると,ナカムラのような研究商売のひとで腰痛持ちって結構おおいですよね。職業病か。しかし,自慢じゃないがナカムラは20代のころから発病している腰痛エリートです(本当に自慢じゃないな)。学生時代に山登りで重いものもちすぎたのが原因かも。うちの業界のビッグボス,某K出教授の説によると,人間とダックスフントは生きているかぎり必ず腰痛になるそうで,腰痛にならないと思っている人は自覚症状がでる前に死ぬだけだそうな。しかし,それって「腰痛にならない」というのと等価だと思うけどなあ。それに,なぜダックスフントなんだ? シベリアンハスキーとかはならないんだろうか。

まあ,それはともかく,腰痛で寝ているあいだ,ナカムラは冬休みの宿題をやっていた。実はレフェリーレポートを書いたり,投稿論文の手直しをしたりと本当の宿題があったのだが,「明日できることは今日はしない」をモットーに刹那を生きるナカムラは,もっと趣味的に自分に課した宿題をやっていたのである。で,できました。このpdfファイルを御覧ください。内容は「正準変換理論をつかわずにHamilton-Jacobi方程式を導く」というもの。Hamilton-Jacobi方程式って,解析力学の教科書の最後のほうにのってて,たいがいそこに到達する以前に力尽きてしまうでしょ? (←そんなのはお前だけだ,なんて言わないで…) だから,教科書のはじめのほうに出て来るEuler-Lagrange方程式の知識だけでHamilton-Jacobiを理解できるようになるとハッピーではなかろうか,と思って計算をしてみたのである。実はこれはちょっと前から気になってて,多分こうすればできるだろうな,と思っていたのだが,腰痛で寝たりしないかぎりこういう計算はなかなかやらないでしょう。で,やってみたら意外と簡単で1ページ程度でできました。どっかまちがえてたら教えてください。