Nov 24, 2005

「本当のことを言おうか」

千葉の建築設計士がマンション等の安全性データを捏造した問題が世間で 話題だが、これって実は結構深刻なことになるんじゃないかしらん? この一件は実は氷山の一角で、調べてみると、ちょっと前にあった温泉の入浴剤事件みたいに、そこら中で同じような捏造がバシバシ見つかったらどうなるんだろう。温泉の場合は「すんません」と言って入浴剤を使うのをやめれば、まあ、なんとかなるが、マンションの場合は建てなおすのにはめちゃくちゃ費用がかかるし、すでに住民がいたりするとその引越しなんかも大変。温泉の数に比べて桁違いに多いマンションその他のビルで、たとえば温泉入浴剤事件と同じ割合で不正があったとすると、日本経済に影響がでるほどヤバい話になりそうな気がする。

とまあ、それはそれとして困るのだが、ナカムラごときには如何ともしがたい問題なので、ここでは別の話、捏造などの不正の話題だ。先日書いた新聞の捏造記事に関する話に対して、研究者の方からいくつかコメントをいただいた。それを読んでて頭に浮かんだ質問、ずばり

研究上の不正やったことあります?

いま、これを読んでいる研究者のあなた、このページのコメント欄に書き込んでください。データ操作とか研究結果の盗用とか、研究関係の不正ならなんでも結構です。なお、このサイトのあるマシンは福井県立大学のファイアーウォールの中にあってproxy経由でアクセスされるため、ナカムラの手元には、書いた本人の情報はもとより、どこから書いたかなど一切情報がこないようになっています。匿名で結構ですから正直に書き込むこと。でも,積極的に本人や関係者が特定できるような書きかたは御遠慮ください。ヤバいと思ったら独断で削除するかも。自分のやった不正でなくても、確実に知っているんだが立場上表にできないとかいうやつでもOK。

Nov 21, 2005

Bad Know-how

EXOS-Dという人工衛星を御存じだろうか? 和名を「あけぼの」といって1989年に打ち上げられたオーロラ観測衛星である。作ったのは,今は宇宙開発研究機構として他の機関と統合された当時の宇宙科学研究所 (以下宇宙研と呼ぶ) である。実はナカムラの以前の職場だ。この衛星はもともとはオーロラがなぜできるか,というオーロラ粒子加速機構の解明が目的であったが,そっちの成果はいまいち芳しくなく,しかし磁気圏プラズマ波動などの分野では結構な成果をあげている。オーロラ粒子加速の研究がイマイチなのはいろいろな理由が考えられるが,高品質の観測データをにらんでさえいればその奥の物理は自動的に理解できる,という戦略があまりに甘過ぎたのが最大の要因じゃなかろうか,とナカムラは思っている。VikingやPolarやFastなど外国の人工衛星だって同じ問題に苦しんでるような気がする。

などという「人工衛星と科学」てな感じの高尚な話ではなく (この話はいつかちゃんとした場所でちゃんと議論したいのだが) このあけぼの衛星のアンテナが今回の話題。この衛星はA,B,Cの3つの通信アンテナをもっていて,これで地上と交信する。で,衛星の位置および姿勢によって衛星からみた地上アンテナの方向が変わってくるので,この3つのアンテナを切替えてつかうのだが,この使いかたは2通りあって,アンテナAとBを同時に使うときとCだけ使うときがある。ややこしいのは,その呼び名で,AとBを使うときがモードA,Cを使うときがモードBなのだ(以上の記述にはナカムラの記憶違いがあるかも)。

これはあきらかによくない仕様である。だって,まぎらわしいじゃん。アンテナの名前をABCにして,運用形態はモード1,モード2にすればこれは簡単に回避できるのに。しかし,この衛星を設計/製作した宇宙研のメンバーは実は非常に優秀で,どんなややこしい手順でも涼しい顔でこなしてしまう実力の持ち 主なので,まぎらわしいとも思わず,あまり深く考えずにこのような仕様にしたのであろう。実際に運用をするメンバーのなかにはナカムラのようなうっかりものもいるので,もう少し考えて仕様設計をして欲しかった。

このように人間相手の仕様を決定するときには極力まぎらわしさを避け,うっかり間違う可能性のないようにしなければならない。飛行機だとか,原子力発電所だとかの多くの人命がからむ場所だと,このへんのところは徹底されている (はずだよね,実体はしらないんだが)。人命がからまなくても,多くの人が使うツールは特に気をつける必要があるはずだ。

しかーしっ! 極めて多くの人が使うツールでありながら,「あけぼの」のアンテナモードよりはるかに紛らわしい仕様をたくさん含むツールがある。日本語である。たとえば「押っとり刀」とか「流れに竿さす」とか「きら星のごとく」とかいうのの意味がよく間違えて使われていると言うけど,こんなの間違えて当然じゃないかと思うくらいに意味がまぎらわしい(正しい意味については検索エンジン等で調べてみてください)。 日本語に限らずいろいろな言語でこのようなことはあるだろう…と考えて英語の例を出して教養のあるところを見せようと思ったが思いつかん! それはともかく,こういうのを間違えているのを指摘して,「君は国語力ないねえ」などと嬉しそうに言うやつがいるが,それってわざわざ落し穴を作っておいて,落ちたやつを見て笑うようなもので,ちょっと趣味わるくない? その奥には「バッドノウハウと「奥が深い症候群」」みたいな心理もあるのじゃなかろうか。

いや,紛らわしい日本語の場合は「あけぼの」のアンテナと違って,だれかが設計したわけではなく,自然発生的に涌いてきたものなので,「わざわざ落し穴を作って」というのはあたらないかもしれないが,とにかく間違えて当然のような状況では間違えて当然なのである。しかし,それを改善するのはなかな難しい。実はナカムラが宇宙研に就職したのは「あけぼの」が運用を開始して4年ほど後なのだが,そのときにこの仕様を知って「これってまぎらわしいから,モード1,2って呼ぶようにしません? モード甲,乙でもいいけど。乙だとZと紛らわしいかな。そういえば,昔「アルギン乙」って漫才ネタがありましたね」と提案してみた。(すみません「甲乙」の部分はいまつくったネタです。) しかし,これはもう無理であった。もうモードABで長いあいだ運用しているので,いまさら変えるとそれに慣れたスタッフが混乱するからである。日本語にも同じことが言えて,もうみんなが使っている仕様を明日から変更,というわけにはいかない。

いや,「あけぼの」アンテナの場合は混乱を承知で運用会議の席で「アンテナモードの呼び名を来月から変えます」という強行手段に出れる可能性もないではないが,日本語運用会議で「来年から"おっとり刀"の意味を変更します」というわけにはいかないだろう。じゃあ,どうすればいいかということだが,こういうまぎらわしい表現はなるべく使わないようにして,死語にするというのがある。あるいは間違っている用法をみんなで使いまくって,なしくずし的に仕様変更をしてしまうという手もあろう。実際,「一生懸命」というのは「一所懸命」の誤用だったのだが,みんなが間違えて使いまくるので,いまはもう市民権を得ていて広辞苑にも載っている。まあ,このような死語作戦やなしくずし作戦は時間がかかるだろうが,少なくとも,間違えて使っているのをみて「日本語 知らん奴」みたいな感じで馬鹿にするのはやめようではないか。

ああ,こういうことを書くと必ず文句がでるのはわかっている。日本語には長い歴史があってうにゃうにゃで,文化というのは利便性だけでははかれないなんたらかんたらがあって,効率一辺倒の昨今の風潮がどうのこうの,という話。まあ,それはご説ごもっともで,それを言いだしたら「あけぼの」のアンテナだってTeXのバッドノウハウだって文化になってしまうわけだが,いわゆる教養人が日本語がみだれとる,って文句を言うときには,実は日本語の仕様設計ミスの責任を利用者に押しつけているのでは,という視点もまた文化ではなかろうか(←なんか強引なまとめ方)。

Nov 07, 2005

「誤報」の裏と表

ナカムラはいいかげんな人間なので,世の中,あまり厳格になりすぎるとしんどいなあ,と思う。たとえば,高校野球で部員がタバコを吸ったというので,出場辞退とかいうのはやりすぎじゃなかろうか,などと考えるほうである。

しかし,ここの記事はちょっとまずいんじゃないか? たとえば,薬の許認可の審査をする医学者が「昔はおおらかな時代で,有効性のデータなんかを適当にデッチあげて薬を認可してたものよ。いまの時代はせせこましくていかん。」などと言っているようなものだと思うんですが。問題は誤報 (というか意図的なニセ情報) を流したというところではなく,それをなんとなく是認して「昔はよかったよなあ」みたいな話にもっていっている所である。プロがそれを自慢していちゃいかんでしょうが。このサイトの他の記事を読むと,報道というものに対しての真摯な態度が感じられて好感がもてるのだが,それだけに,これは残念である。「白いカローラ」と書かれたおかげで,友人から犯人あつかいされて人間関係がぐじゃぐじゃになっちゃったカローラオーナーもいるかもよ。

思うに,マスコミの,特に報道関係の人ってプロ意識がまちがってる人が多いような気がする。昔,テレビ局に勤める友人と話していたときに,いわゆる「やらせ」の話題になって,彼は「われわれは映像が勝負の商売だから,それがないと番組は作れない。だから,多少無理をしてでも映像を作らなくてはならない」という意味のことを言っていた。これはおかしいでしょう。映像なしで番組が作れないのなら,作らなければいいだけの話である。実験稼業の研究者が「データがないと論文がかけないので,ちょっと都合のいいようにデータつくっちゃいました」などと言おうものなら,真っ先にたたくのは「やらせ」やり放題のマスコミでじゃないのかなあ。

Nov 05, 2005

ゴミ箱に捨てて良いですか

最上氏の鋭い指摘。そういえば,ナカムラが使っているソフトにもいくつかそういうのがあるような。鈍いナカムラは今までそんなもんかいな,と思っていたのに,これを読んだら気になるではないか! (って人,ほかにもいるよね?)。

Nov 01, 2005

しなふぁい

宇宙ジャーナリストの松浦晋也氏のサイトで知ったのだが、この世でもっとも難しいピアノ協奏曲はクセナキスの「シナファイ」だそうな。(クラシックファンでないナカムラはなんとなくプロコフィエフかと思っていた。) この曲はなんと、16声ものパートを一人で弾かなくちゃならん(人間の指は10本しかない!)難曲で、最後の方のソロパートでは10段もの楽譜になっている(ここの解説参照)。こんなんありかいな。ナカムラは読譜能力がないので、この楽譜をみてもどんな音がなるのかちっともわからんがどんな曲なんだろうと思っていると、幸いなことに松浦氏の紹介しているサイトで音源のストリーミングがあった。

これは1996年にこの難曲を新日本フィルと共演した超絶ピアニストの大井浩明氏のサイトであり、ストリーミングの音源はそのときのライブ録音である。ナカムラのイメージでは現代音楽のプレーヤーといえば孤高の芸術家で、気難しい顔をして小難しい形而上学的音楽談義をネットで公開しているものという気がしたのであるが、この大井さんってのは、なんかとっても楽しいひとみたいですね。(まあ、世間では難しげに思われる物理学者の中にもこんな人もいるので、世の中そういうものかも。) とくにこのサイトの左上の「色、艶ともに最高だ!」の写真は最高だ! それから、この「シナファイ」を弾くことになった経緯で、指揮者から何を弾くかと訊かれたときに「らふまにのふの3ばーん」とひらがなで答えるあたりがとってもお茶目なんともいえず良い。

まあ、それはともかくとしてこの曲を聴いてみたのだが、うーん、さっぱりわからん。そこで思い出したのが、以前、ラフマニノフと量子力学についてナカムラが書いたこの文章。ここの話を要約すると、音楽家はみんなにその仕事の真価を理解してもらえるのに、物理学者は専門知識のある一部にしかわからないようなことをやってるので寂しいよう、という話であった (なんちゅう要約じゃ)。しかし、この「シナファイ」を聴いていると、実は現代音楽の作曲家・演奏家も同じようなもんじゃなかろうか、と思えてくる。ナカムラは音楽に関してはそこそこ研鑚をつんだので、たとえばバッハのインベンションなんかは一回聴いたらだいたい楽譜に落とすことができるし、ラフマニノフのピアノ協奏曲などでピアニストが音をいくつか省いて弾いてると、どの音を落としたか正確に言い当てることができる。しかし、この「シナファイ」のピアノソロを聴いて、16声部からなるということは、どうしてもわからなかった。

ああっ、ごめんなさい。ちょっと見栄をはって思わず嘘を書いてしまいました。もちろんナカムラはそんな増井さん(←内輪です)のような音楽的才能はもってません。でも、昨今のポップス程度なら、まあコード進行とメロディーラインとベースラインくらいは耳だけで取ることができるし、普通に聞こえてくる音楽ならだいたいの構造は聴くだけで理解できる(これは本当。こういう人は結構いるからあんまり自慢にはならないけどね)。でも、この曲はさっぱりわからんかった。いや、音楽なら物理と違って技術的なことまで理解できなくても良さはわかることもある。前出のラフマニノフなら音符の細部までわからなくても曲の美しさはわかるし、また素人でも「げげっ。めちゃ難しそう!」というのはわかるだろう。しかしこの「シナファイ」の終わりのソロって、なんかマルコフ的酔歩過程のように音列が聞こえてくるだけで、良さがわからないだけでなく、難しさもよくわからんような気がする。大井氏も「報われない箇所かも」と書いているし。

で、自分がそうだからみんなもそう、というわけではないが、このピアノソロを聴いて16声だとわかる人間の数は、たぶん、球面調和関数を使って水素原子のシュレディンガー方程式を解ける人間 (実は結構いる) より少ないのではなかろうか? 上でふれた「シナファイ」の楽譜を解説してあるサイト(本題からはずれるか、ここで紹介されている他の楽譜もかなりキてます)に、同じクセナキス作曲のHermaの解説があったが、ここでもそれを正当に評価するにはかなり高度の音楽的修練を要求するようなことが書いてあった。この解説を書いていらっしゃる方も自分でピアノを弾いてかなりの腕のようである。つまり、現代音楽というものは物理学のようにごく一部のそれを専門とする人間以外には理解できない世界なのではなかろうか?

ひょっとして、超絶ピアニストの大井氏がコンサートの前にガールフレンドに「今日は君のためにシナファイを弾くよ」というのと、ここで書いたようにプラズマの研究者ががボーイフレンドに「今日はあなたのために静電イオンサイクロトロン波を発生させるわ」というのは、同じようなものじゃないかしらん。それって、現代音楽にとってハッピーなことなのかなあ。