Apr 27, 2005

マリア様

これをお読みの方で医学都市伝説のファンの方は多いと思う。ナカムラもそのひとりである。(大分前に なるが,ナカムラの駄文をとりあげていただいたこともある。こんな有名サイトからリンクされるのはおそれ多いなあ。) その都市伝説のここの記事を読んで前々から思っていたことを思い出したのだが,キリスト教圏,とくにカトリックの国では「壁にマリア様の姿が浮かびあがる」という話をよくきく。でも,女性の顔というだけで,なんでマリア様ってわかるんだ? 会ったことあるやつなんて,いないだろう。リンク先のページや,そこのコメントでもふれられているが,ぜんぜん違う観音菩薩とかシバ神とかかもしれないじゃないか。

いや,まだ神仏系ならいいけど,たとえば,以前にちょっと話題になった300万円で落札したトーストに写っているのがマリア様じゃなくて,3年前に「ああ,生きているうちにもう一回トーストを食べたい!」と思いながら死んだ斜めむかいに住んでたオバハンとかだったらどうするんだろう。オバハンの方も「なんかありがたがられてるみたいだけど,アタシに祈られても困るのよね…」とか思っているのではなかろうか?

よ,読めん…

ウォークマン大逆転、ついにiPod Shuffleを抜き一躍トップにという記事である。記事の内容はとくに興味ないが,下の方にある「站密」と「舐舅」という漢字の読み方がわからん! 教養無いなあ…。

Apr 26, 2005

ちょっとくらい遅れても

ところで,この ちょっと遅れますという文章を書いてから,複数の友人に「そんなに怒っていたとはしらなかった,ゴメン」みたいなことを言われた。いや,あれはネタとして書いただけで,温厚なナカムラはそんなに怒ってません。…だから,ナカムラが遅れたときも許して。

ちょっと遅れます

最近気になるのだが,待ち合わせをしていると,相手が「ちょっと遅れます」というメッセージを携帯に送ってくる (最近は音声通話よりメールの方が圧倒的に多い) ことってよくありません? しかも謝ってる顔文字なんかついてたりするくせに,現れるとさして悪びれる様子もない。もちろん,なんの連絡もないよりはいいのだが,「遅れます」と連絡さえすれば遅れてもいいような錯覚にとらわれているやつが多いのではなかろうか? 連絡をしようがしまいが,こっちの時間が無駄になったのは変わらないのに,しかも間に合うように結構無理したんだけどなあ,なんて思いながらも「待った?」ときかれると「いや,連絡があったからそんなに待ったわけでもないわけでもないかもしれない…」と意味不明のことをつぶやく気弱な中村であった。いちど,「おんどりゃ,今度遅れくさったら連絡ぐらいで許されると思うなよ! 市中引き回しの上,ハリツケ獄門じゃあぁぁ!」とか言ってみたいものである(いや,それほど怒ってるわけじゃないんだけど)。でも,自分が遅れることも結構あるしなあ…。

Apr 15, 2005

本棚.org

下の記事のコメントでもちょっと書きましたが本棚.orgナカムラの本棚をつくりました。作者の増井さんに感謝 (サーバー,イマイチ重いですね)。実は田崎氏の書評ページにちょっと触発された。今から読んだ本はできるだけコメント付で登録していくつもりですのでよろしく。

ついでに地図帖も。

Apr 08, 2005

物理学会 → 国際シミュレーションスクール

前にもちょっと書いたが,先月の終りに千葉であった物理学会と京都であった国際シミュレーションスクールに出席してきた。で,いろいろと感想などをつまらない発表のときにセッションのあいまにPDAで書いたりしていたのだが,今読んでみるとあんまり面白くないし,もう時期的に遅くなりすぎたので,ここに書くのはやめにします。いや,でも両方の学会とも面白かった。

特に物理学会は自分の分野外のいろいろなセッションを聴いたのでためになった。もちろんカイオウ対ケンシロウのセッションも行った。人が多すぎて,セッション後におふたりに挨拶しようと思ったのだがしそびれてしまいました。失礼しました。また機会があったらよろしく。実は同じセッションにあらきさんもいらっしゃったようだ。あらきさんとは面識はないのであるが,いつかどっかでお会いしたいものである。

京都のシミュレーションスクールは,京大のキャンパスであったので,そこで働いている心理学専攻の友人をたずねて…ということはなくて,知人の研究室までいく暇はなかったのであるが,とりあえず必修科目の折田先生像はチェックして来た。

Apr 03, 2005

非ユークリッド心理学

御無沙汰です。実はこの2週間ほど,出張で千葉→京都とまわってました。その報告はのちに書くとして,以下はその京都で心理学を研究している友人からきいた「公理系心理学」の話。これは1990年代にオランダから始まった新しい動きで,主としてヨーロッパで研究されているらしい。日本にはほとんど紹介されていないので,ご存知の方は少ないだろう。

公理系心理学とは人間の欲求のなかの基本的なもののいくつかを「公理」ととらえ,他の欲求はあたかも幾何学の定理のように,それから演繹されるものと考える立場だそうだ。具体的には公理的欲求とは(1)食欲,(2)性欲,(3)好奇心(知識欲),(4)快適さの欲求,(5)自己肯定欲,の5つで,これらはどの人間にもある本能のようなものとみなされる。このうち,(1)から(3)までは解説の必要はないだろう。(4)の快適さの欲求とは,たとえば極端な暑さとか寒さを避けるとか,あるいは睡眠や排泄を求めるとかいう,動物的な欲求である。(5)の自己肯定欲とは,名誉欲や自己顕示欲の源泉で,社会やまわりの人間 (あるいは自分自身) から高く評価され,肯定されたいという欲求である。これがないと,(1)から(4)までに反する自己犠牲の精神などは説明できない。

この公理的欲求を認めると,たとえば,金銭欲などは,もともと(1)から(4)までの欲求を充足させるものとして発達し,のちに金をもっているということが社会的地位を意味するようになると(5)の欲求からも支持されるようになったと解釈できる。ここで公理系心理学が主張するのは,そういう金銭欲などが十分に発達すると,それは「定理的欲求」となり,もともとの公理的欲求と結び付かなくなっても存在しつづけるというところである。これはよく言われる手段の目的化というやつで,(1)から(5)までの欲求のどれひとつ満たされなくても,預金通帳の数字が増えていくだけで快感を感じるようになるわけだ。そう考えると,われわれのまわりって結構定理的欲求ありますよね。ゴージャス欲とか。

で,こういう枠組で90年代にオランダを中心に研究がすすんでいたわけだが,1998年にオーストリアのLeubnerという研究者が面白いことをいいだした。彼は,上にあげた5つの公理的欲求のうち「第5公理」がない人間も理論的には存在し得るのではないか,と考えたのである。つまり(1)から(4)までは人間のDNAに書き込まれている本能だが,(5)は生まれたあとの社会生活で身に着けた後天的な欲求だというわけだ。Leubnerが根拠とするのは,民族学の知識である。20世紀初頭の民族学の報告では,南太平洋のいくつかの小島に住む民族で,われわれの考える倫理感とか正義とかとは著しくことなる価値体系をもつ社会があることが報告されている。たとえばフィージー諸島のある島では「友情」という概念がなく,友人を助けるのは愚かな行為でしかない。これはその友人と仲が悪いというわけでは全くなく,親友であろうが親戚であろうが,困っている人を助けるという発想がないのである。
  もう21世紀のいまとなってはそういう小社会は西欧化されてしまっているが,Leubnerは過去の民族学者の報告 (残念ながらあまり多くない) を子細に検討して,これは(5)の自己肯定欲が形成されていない社会であろうと推論した。彼によると,自己肯定欲というのは自己を犠牲にして自分の属する集団を守ろうという社会的遺伝子 (ミーム) で規定されるものであり,外敵のほとんどいない,楽園のような太平洋の小島にすむ人々には必要のない欲求なので,これらの島々では発達しなかったのだという。

Leubnerはこれを非ユークリッド幾何学になぞらえて,「非ユークリッド心理学」と名付けた。(実は公理系心理学の公理の選び方は研究者によって微妙に違い,かならずしも上の5つではないのだが,Leubnerは幾何学になぞらえて第5公理に自己肯定欲をもってくるために,いくつかの欲求を第4公理に無理にぶち込んだと思われる節がある。) この非ユークリッド心理学は,太平洋の小島の文化が絶滅した今となっては検証のしようがないが,21世紀に入ってから,コンピューターを使ったエージェントモデルで第5公理のない疑似社会をつくり,どう機能するかという研究も始まっているそうである。

なかなか面白い話でしょ? ナカムラも出張中に興味を覚えて,大学に帰って来てからちょっと調べてみたのだが,日本語で解説してあるページはここしかみつからなかった。上では書かなかった面白い事実などもあるので,ぜひ,覗いてみていただきたい。