Feb 27, 2005

今日のネットサーフィン

実は来週,東京で研究会があって,そこで話そうと思っていたネタ(大分前に計算は終ってた)に欠陥がみつかって,今日は大学で計算しなおし…のはずだったのだが現実逃避でネットサーフィン(最近きかない言葉だ)をしてました。で,ここ経由でみつけたページ。

クリエイティブになる10の方法
11項目目「〜のための10の方法」みたいなヨタを信じるな!
世界中の皆で一斉にジャンプして、地球温暖化を止めよう!
残念ながら世の中には運動量保存法則というのがあって…。
あいたたたた。
…エントロピーの2次の項計算しなくちゃ…。

Feb 18, 2005

あべたわ

さて、以下は去年の終りごろに書いた文章なのだが,MathMLやエッシャー歩道などにかまけているうちに,塩漬けになってしまっていました。まず,故事成語の勉強から:

あべたわ[名・サ変] 1)物理学者がネットのコメントタイトルを推敲すること。その昔高名な物理学者がネットに投稿するコメントのタイトルを「あべしっ」にするか「たわばっ」にするかを迷い、「あべしっ、たわばっ、あべしっ…」とつぶやきながら我をわすれて歩くうちに、役人の行列につっこんでしまったという故事による。2)転じてネットで悪ノリすること。用例:この文章自体があべたわだ。(民明書房刊 「物理故事ことわざ辞典」より)

おそまつ。ところで故事成語といえばナカムラは以前から思うのだが、,「蛇足」と言う言葉の語源って後付けじゃなかろうか? だって「蛇の絵を早くかいた奴が酒を飲む」なんて決めるの、めちゃくちゃ不自然じゃないすか? ジャンケンでもした方がよっぽど手っ取り早い。きっと、蛇に足は余計なものという意味から、もともと“蛇足”という言葉があって、それを説明するためにあとづけのエピソードをだれかがでっちあげたのじゃなかろうか。

このような歴史的文献ってどの程度信頼できるかって疑い出すと、わからなくなりますね。歴史学なんかを研究している人って、自分が頼りにしている文献の信憑性ってどうやって評価してるんだろうか? たとえば未来の歴史学者が21世紀初頭の遺跡のなかから学習院大学のウェブサーバーを発掘して、このページ (探すの苦労した) を見つけたら、「そうか、この時代はすでに紙に書いてある文章の百倍から五百倍の電子化文章があったのか、ふむふむ。」などと納得して、論文かなんかにしてしまうのではないかしらん。

そういう話をするといつも考えるのが、邪馬台国がどこにあったか、という問題である。ナカムラが学校の歴史の時間に習ったところによると、魏志倭人伝をそのまま信じると邪馬台国は海の中にあることになってしまうそうだ。だから魏志倭人伝はどこか一カ所間違えているはずだ、それはどこだ、ということで、近畿説と九州説に別れる。つまり、ある一カ所を間違えたとすれば近畿になり、別の場所を間違えたとすると九州になる。
でも、待てよ。なんで間違えたのが一カ所だけだといえるんだ? 魏志倭人伝が邪馬台国の場所を海の中とするような不確かな記録だとすると、一カ所だけじゃなくて二か所、三箇所と間違えているかもしれないじゃないか? で、二か所以上間違えがあると、邪馬台国の場所は、近畿・九州に限らず、ひょっとしたらナカムラの住んでる福井かもしれないじゃないか?( エジプトという説もあるそうな。)

やっぱり文系の学問って、基礎からして結構あやふやだなあ。それに比べて、われわれ理科系の学問はたとえば物理法則のように確固たる基礎に…、あれ、しかし我々の頼りにしている物理法則だって、本当に信頼できるのか? 世界が物理法則に従って動いてる、と人類が認識しはじめてからたかだか数百年なわけで、たとえば地球磁場の南北が変るように数万年のスケールで万有引力定数変わっていてもわからないんじゃないか?
さらに考えると、地球磁場が反転しているように見えるのは、実はダイナモがどうのこうのという効果ではなく、電磁気学そのものが変わっている可能性だってないか? いや、ダイナモの場合は過去の地質記録と整合性のあるように,電磁気学の経時変化をつくるのはかなり難しいだろうが、たとえばアインシュタイン方程式が何万年かのオーダーで変化していっても人類には(すくなくとも今のところは)わからないだろう。するとビッグバン理論なんかは魏志倭人伝が二か所以上間違っているかもしれないのに、近畿説か九州説か論争しているようなもんじゃなかろうか。

最後にナカムラの好きなラブソングの一節を:

Maybe it's wrong, but it seems so right.
The feeling we share, we have to believe.

Feb 16, 2005

Forgive them lord, they know not what they have done.

小論文、コンピューターで自動採点 入試センターが試作」という記事を読んだのだが,彼らは自分たちのしていることの重大さを認識しているのであろうか?

センター試験でこれを採用するとなると,そのアルゴリズムが公開されるか否かにかかわらず,各予備校は徹底的にそのソフトの評価基準を調べるだろう。そして高得点が得られるTIPS集がまとめられるが,これが事実上,将来の日本語論述の大枠を決定することになる。

高校生の年齢で自分の書き手としてのスタイルを確立している者は,ごく小数なので,多くの高校生にとってはそのTIPSのスタイルが知らず知らずのうちに標準になってしまう。そして,将来影響力のある文章を書く人間の多くは,そういうプロセスでセンター試験を突破した者になるので,巷で読まれる文章の多くがそのTIPSスタイルになってしまう。するとセンター試験を受けないものでも,それを読んで影響をうけてしまうので,これが日本標準のスタイルとして大きな影響力をもつことになるであろう。

上にリンクしたニュースによると,その自動評価システムは「あらかじめ、理想の小論文として全国紙の2年分の社説、コラム計約2000本を記憶し、学習している」そうだが,その2000本が将来の日本語のテンプレートになるわけだ。もし,入試センターがそこまで認識していて,「よっしゃ,これで日本語を制覇したる!」という野望を持っているのだったら,それはそれで恐い話だが,逆に「あ〜,採点の手間が省けてらくちん♪」としか考えてないとしたら,それもそれで恐い話だ。

Feb 14, 2005

文部科学省所管公益法人

おなじみ,あらき日記経由で「漢字の読めない小学生?」というページを見付けた。これ自体,非常に興味深い内容なのだが,そこからリンクをたどって所管公益法人一覧-文部科学省というページを見てみると,これがまた奥深い。たくさんありすぎて,まだ,ちょっとしか見てないのだが,たとえば,教科書課のところにある3団体の業務内容って,どこが違うのだろう? 住所も全部同じだし。ナカムラは社団法人と財団法人の違いもよくわからないド素人なので,考え違いかもしれないのだが,これってどう見ても天下りポストをつくるためだけの存在としか思えない。 でも,そうだとすると,こんなミエミエの運用形態をウェブサイトなんかで公にしていいのか? 少なくとも,文部科学省には,これだけ多くの法人が本当に必要であることを国民に説明する義務があろう。

Feb 10, 2005

「相対性理論はやはり間違っていた!」はやはり間違っていた!

この記事には数式が含まれています。ここをクリックしても正しく表示されない場合はこちらをご覧ください。

例の相対論間違ってる説に関してだが、最近コメントがなくなってきて、あんまり引っ張ると忘れ去られそうなので、とりあえずナカムラが正解と信じるものを書いておきます。間違えてたら教えてください。まだ自分で考えたいという方は以下は読み飛ばしてください。


以下では棒が静止している系を S 、動いている系を S ' と呼ぶ。ひとつの答えは、 S から見た棒と S ' から見た棒とは別の物理実体というものだ。つまり時間がちょっと違う。で、 S から見た棒と同じものを S ' にもってくると、右と左の端の時間が違うものになる。そうすると、その棒にとっては両方の手を同時に離したのと同等になり、加速されないという結論がだせる。ただ、この答えは「 S に引き戻して考えると同時に手を離したことになる」というのとほぼ同じで、ちょっと面白みに欠けるのではなかろうか?

そこで、 S ' での物理量だけを使って説明をしてみよう。ここでは手で押すというのを「棒の端から運動量を注入する」と考える。棒というのは連続体なので、その運動量を考えるには連続体上の運動量密度を考えることになる (「みみずが潰れる」というコメントはこのへんを暗示していたと思われる、ですよね?)。そうすると相対論的にはエネルギー・運動量4元テンソルを考えることになるが、テンソルになるとちょっとややこしいので、似たようなパラドックスを運動量でなく、流体密度で考えてみよう。

いま、筒の中を時間・空間とも一定のフラックス J で流体が流れているとする。フラックスが一定なので、流れている間は筒の中の流体の量(微視的には構成粒子数)は時間が経ってもかわらない。系 S の時計で時刻 t 0 に、せーので両端にフタをする。同時刻なので、フタをしたあとでも筒のなかの流体量は一定である。(フタをした瞬間に流体がフタにぶつかって、圧縮されたり乱流状態になったりすることはあろうが、フタからもれる流量がゼロなら議論はなりたつことに注意。これはオリジナルの問題の剛体がどうのこうのに似ている。) で、 S ' からみると…(以下略)

ミソは流体の密度・フラックスが4元ベクトル(4形式)であるというところにある。3次元的に書いた密度 ρ とフラックス J J ν =(ρ,J x,J y,J z) という4元ベクトルを構成する。いま、系 S t =t 0 までの密度・フラックスベクトルは ( ρ 0,J 0,0,0) だったとしよう。先述したようにフタをした直後は流体の運動は複雑になるが、十分時間が経つと流体は系 S に対して静止するので、 J ν =(ρ 0,0,0,0) になる。
さて、これを S ' から見てみると、初期状態では密度・フラックスベクトルは J ν '=(ρ',J',0,0)=(u tρ 0+u xJ 0,u xρ 0+u tJ 0,0,0) となる。ここで ( u t,u x,0,0) S S ' の4元相対速度である。 いま系 S ' での筒の長さを L ' 、断面積を σ とすると、この筒の中の流体量 A 0 ' A 0 '=σL'ρ'=σL'(u tρ 0+u xJ 0) であたえられる。両端にフタをしてから十分時間が経ったのちは J 0 =0 になるので、密度・フラックスベクトルは筒の中で一定の J ν '=(u tρ 0,0,0,0) となり、流体量 A ' A '=σL'ρ'=σL'u tρ 0 である。これは A 0 ' とは違う値で、この差 A '-A 0' t L <t<t R の間に閉じられていない右端の口から出ていったわけである。

ここで J 0 があるかどうかで、 S ' からみた筒の中の流体量(粒子数)が違うと言うのがちょっと直観に反する気がするが(しない?)、これは「筒の中の粒子数=筒という4次元空間内での超平面を横切る粒子の世界線の数」と考えると納得できる。

エネルギー・運動量場合もだいたい話は同じだが、運動量が変化してもなぜ速度は一定なのかというのは説明が必要かもしれない。これは相対論では速度の変化だけでなく、質量(=エネルギー)の変化も運動量を変えるということを考えれば理解できる。つまり、棒は S ' で一定の速度で動いているのだが、質量の変化分だけ運動量が変わるのである。

ということで,ベクトルとかエネルギー・運動量とかの物理的下準備てんこ盛りじゃないと説明できないのですが,もっと直観的にすきっとした説明はないでしょうか?

Feb 09, 2005

bot

インターネット上の新たな脅威「ボット(bot)」に気をつけろ!という記事を読むと,botなるウイルス的プログラムをネット経由で送り込んで,そのパソコンのCD-ROMトレイを開閉することが可能らしい。そこで思い付いたのだが,

  1. とある大学教員のところに学生が授業の質問に来る。
  2. その学生も教員も帰ったあと,無人の研究室から出火して重要な機密データが失われる。
  3. 実はその学生が質問に来たときに,気づかれないように研究室のパソコンのCD-ROMトレイの前に,倒れると発火する仕掛けがしてある燃料ビンを置いていったのであった。
  4. そして,その教員に怨みをもつ学生はネット経由でそのパソコンにbotを送り込み,CD-ROMトレイを開く命令を出す。

っていうのがネタの推理小説はどうだろう?

……ダメだな。そんなことするより,時限発火装置のほうが簡単確実。じゃ,トレイ開閉じゃなくて,人の声の入ったファイルを送り込んで,音声再生ソフトを遠隔操作して,アリバイにするとか……これも難しいなあ……今日はもう仕事やめて帰ろっと。

Feb 07, 2005

シルベスタの慣性則ってなんだっけ。

この週末,とあるファミリーレストランに行ったのだが,テーブルに,そこで出しているいろいろなお茶の効能書きがあった。その中にギムネマシルベスタ茶というのがあって,その解説は以下の写真:

ちょっと写真が下手で読みにくいので書き写すと「インドで二千年以上歴史のあるお茶。甘党のダイエットに甘みを消す効果があると言われてます。」とある。インドで数千年の歴史といえば,なんとなく羅漢仁王拳とか操像戮桓闘法を連想してしまうが,しかし,これっておかしくないですか? せっかくの甘みを消してしまうともっと砂糖を入れるようになって,ダイエットにはならないのではないかしらん。

Feb 01, 2005

33529

げげっ。いま(2005年2月1日 午後8時ごろ)アクセスカウンタをみると33529になってる。みなさん,もっとましなページ知らないんですか?日頃のご愛顧ありがとうございます。

ところで,こんだけたくさん(ナカムラのような無名個人サイトとしては,という意味です)読んでもらえるようになってくると,いただいたコメントの著作権はどうなるのであろうか,という問題が気になる。

たとえば,はねかえり係数の記事については34件ものコメントを頂いているが,こんな風にどんどんと話が発展していって,いつのまにか美しいラブストーリーになって「電車男」ならぬ「はねかえり係数男」という一編の物語ができてしまったら(いや,多分できないだろうけど),その著作権はどうなるのだろうか?電車男って本とかマンガとかがヒットしてるけど, この辺どうなってるのかな?

というわけで,こうやって書いておくことがどれくらい拘束力があるかはしりませんが,ここでのローカルルールとして

  • 発言者が特定できるコメントについては,その発言者が著作権をもつ。
  • 匿名,あるいは特定できないペンネームの場合は著作権放棄。

ということにしようと思います。まあ,これが必要になることはないだろうけど,転ばぬ先の杖ということで。 ナカムラが書いた部分については,著作権を放棄するわけではないですが,普通に使ってもらってかまいません。厳密に言えばGPLとかクリエイティブコモンスとかの話になるんでしょうが,そのへんの話題はよく知らないし,そんな大げさなもんじゃないような気もするし。