Dec 30, 2006

E電と山犬

先日,ひさしぶりにトランプゲームをやった(「大貧民」のルールをやっと憶えたぞ。でもすぐに忘れるんだろうな…)。そのとき,ふと気がついたのだが,日本語にはトランプの「スート」に対応する言葉がないですね。ルールの説明をするときにとっても不便。「あの,スペードとかハートとかの区別」とか言ったり,「例えばスペードに続いてはスペードしか出せない」とかいう個別の例で示したりすることで意志の疎通を計っている。

あきらかにわれわれの頭の中に概念を共有しているのに,それに適切な言葉がないって例は珍しいんじゃないだろうか?「切札」とか「ババ」とか,他の必要な単語は対応する日本語があるのに「スート」はなんでないのだろう。花札とかのそれまでの日本のカードゲームにはない概念だからだろうか? …と書いて,ちょっと考えると「姓名」の「名」,つまり英語で言う「Given Name」なんてのもそうだから,同じような例は結構あるのかも知れないな。みなさん,思いつきます?

これは,ソシュールの言う所のシニフェとシニファンの問題であるが…などと知ったかぶりでわかったようなことを書こうと思って,ネット上を調べているとソシュール思想の基本概念というページを見つけた。で,そこにあった

 例えば、「犬、狼、山犬」という語彙を持つシンプルな体系を考えます(もちろん、生物学的には意味のない分け方です)。もし仮に、ここで「山犬」という単語が無くなるとすると、それまで「山犬」と呼ばれていた動物の一部は「犬」に、一部は「狼」になるでしょう。また仮に、「野犬」という単語が新たに生み出されたとすると、それまで「犬」「狼」「山犬」と呼ばれていたもの、それぞれの一部が「野犬」というグループに分類されることになります
という記述を読んで,ちょっと思い出した話題をひとつ。「生物学的には意味のない」と書いてあるが,生物学的な区分も「種」以上の「属」とか「門」とかになるとあてはまるのかも知れない。また,「山犬」という日本語がこの例にぴったりくるかという問題もあるそうだが,そのへんは無視。

で,ソシュールの言う所は,ナカムラの素人理解によると

|------ 犬 ------|---- 山犬 ------|----- 狼 ------|

と区別している言語があって,ある日,「山犬」という単語がなくなると,

|---------- 犬 ---------|----------- 狼 ----------|

という具合に「犬」と「狼」の守備範囲がひろがって,「山犬」なしでもやっていけるだろう,というである。つまり,連続分布の概念をいくつかにわけて名前をつけるときに,いくつの単語を用意するかというのには恣意性があり,その単語が概念の方を規定してしまうということである。(らしい。言語学に詳しい方,間違ってたら教えてください。)

そう言われると,なんとなくそんな気もするなあ,でもいきなりある言語から必要な単語なくなるということは,まずないんじゃないか。もし「山犬」に対応する動物が死に絶えてしまって,その記録も忘れ去られるとしたら,そもそもその単語の必要性自体がなくなって,

|------ 犬 ------|         |----- 狼 ------|

のようになっちゃうし,などと思われた方もいるのではなかろうか?もし,ソシュールの言うようなことを起こそうと思ったら,独裁国家で専制君主が「来年から山犬なる単語を使うこと,まかりならぬ」みたいな禁止令を出すときくらいしかないんじゃなかろうか,とも思える。

ところが,昭和終盤の日本でこの話にぴったりの例が起こっているのである。「国電」である,と言ってピンと来ない若い方に説明すると,その昔,今のJRは「日本国有鉄道」略して「国鉄」と言って日本政府が経営していた。で,その時代,JR線のことは「国鉄線」と言われていたのだが,その中でも東京や大阪の大都市圏の近距離列車をとくに「国電」と呼んでいた。(たぶん,もっと昔には長距離列車はディーゼルかなんかで,都市圏近郊だけが電車だったからそう呼ばれるのかと思うが,さすがにそれはナカムラの生まれる前の話。)
それが,国鉄が民営化してJRになるときに,やっぱ「国電」じゃまずいでしょう,ということになって,名前を公募したりして,JR東日本では「E電」などという脱力する名前なども提案されていたのだが,結局これは定着しなかった。その結果,いまの日本語には「東京や大阪の大都市圏の近距離列車」というカテゴリをあらわす言葉がなくなっている。それなしでも特に不便はない。

…というのが,今回の話題。だからどうした,といわれそうだが,どうもしてません。すみません。いや,でも,われわれ昭和世代は言語学理論を検証する世界にもまれな現地実験の生き証人なのであると思うと,ちょっと楽しくないですか?

Comments and Trackbacks

その昔

難しい言語学はしらんけど国鉄しか知らない世代に告ぐ。
阪神間では国電とは言わず「省線」と言ってた。「私鉄」に対し、「鉄道省」の管轄する「省線」だった。その次がご存知「国鉄」。長距離列車はその頃は勿論石炭をたく「汽車」

それからこれも関係ない事やけどこの頃「与える」と言う意味の表現が「上げる」一つになって「やる」は差別語」やそうで消えてしまった。しかし「赤ちゃんにお乳を上げる」では愛情がかんじられない。いかにも保育師が哺乳瓶で時間的に飲ましてる感じ。「植木に水をあげる」もこっけいに思うのは歳のせいか? 
山犬が消えてもあまり差し支えないように、これも与えると言う行為の表現に不自由はないが、ミミズに餌をあげる。大根に肥料をあげる、と言うのをきいても皆さんなんともありませんか? 何だか気持ちワリーのは省線を知ってる世代だけか?

Posted by ぼのぼ at 2006/12/30 (Sat) 20:33:19

西暦**年、

「イヌ」は差別語と認定され、放送禁止になった。

なんて事態があると楽しいのですがねえ。いちいち犬の種類を言わなきゃならなくなるんですよ(今の旧国電)。ソシュールが生きていたらなんて言うんだろう?

そうそう、犬の話、リンクしときます

Posted by yama at 2006/12/31 (Sun) 02:39:49

ごぶさたしております。元早大の中野でございます。

概念としては区別できるのに、実態としては一つのスペクトルを形成しているので、どこかで線引きをする。だけれども恣意性があるので困るという例ですね。むしろ線引きができないので一つにまとめられてしまった例もあります。

東京だと通勤電車と近郊電車の区別がなくなっちゃいました。東海道線に乗っても山手線に乗っても同じつくりの電車が走ってます。乗客の実態がそうなっちゃったんですね。

概念であるとか、定義がどうのというところで分類があったのだけれども、実態として近郊電車がちょいと乗車時間の長い通勤電車になってしまったので、同じ設計の電車が走るようになった。

惑星の定義も同じような話だと思うんです。具体的な数字を入れればそれでもめてしまう。この場合は概念で線を引いたようなものでしょう。

人文系の学問って結構デジタルなところがあるもんだな、そういう気がします。

P.S.去年の春に修士修了で就職したのですが、1月から名古屋に転勤です。

Posted by 中野@(元)早稲田 at 2007/01/01 (Mon) 21:59:32

万子とか筒子とか索子とかの

違いのことは何ていうんですかね?

カテゴリーとかディシプリンとか言う言葉も
いい訳語が無くて困ってるんだろうなという気がする
文章自体言い換えて欲しいけど
偉い人は使いたがるよね

良い訳語が作れなくてあきらめたなって感じがするのは
「ポテンシャル」とか「エネルギー」

運動量とか慣性モーメントまでは訳したのにな
モーメントは訳してないか

Posted by na at 2007/01/02 (Tue) 17:50:37

今思い出した

外国語にあって、日本語に無くて不便な言葉、
セニョールとかムシューとかマダームとかいうやつ。
ホテルのフロントでも、お店屋でも、とにかく
ムシュー!!って呼べば出てきてくれるし
名前を知らない大人の女性に話し掛けるときも
失礼にならないし、すごく便利ですよね。

日本語だと店員さんを呼ぶちょうど良い言葉が無く
やたら「すいませーん」「あのー!」になってしまう。
「おばさん」じゃ失礼だし「お嬢さん」もやり杉って感じだし
「奥様」って結婚してないかもしれないし、
あのーそのー「お宅様」とか、、

誰かマダムとかシニョーラの日本語を作ってください

Posted by na at 2007/01/03 (Wed) 18:34:41

あれ?

E電やM電ってのはまだ使われてると思ったのですが...

Posted by mmm at 2007/01/10 (Wed) 03:55:37

そのままトランプの和訳なので、プレイング・カードをトランプと呼んでしまったために造語せざるを得なかったのではないでしょうか。
トランプが間違って呼ばれずにカードと呼ばれていたら、今でも切り札はトランプとただカタカナで呼ばれていたと思います。

花札はインデックスがなくてユーザーフレンドリィじゃあない。
今ではトランプのインデックスもシニョ~レ版がありがたい。

Posted by ハリケーン at 2007/01/10 (Wed) 16:31:55

ロイヤル

 ちょうどタイの(英語の)ある本を私的に翻訳しているのですが、日本語に訳せなくて困っているのが「ロイヤル」。
 ロイヤル・エレファント 王族の乗る象
 ロイヤル・レター 王様の出す手紙
英語だとなんにでもロイヤルは付けれますが「王家の」などと訳すと、なんだか、ひどく間抜けな感じになります。日本語は「の」等で単語を引っ付ける言語なので、王象はまだしも王手紙とかは変ですね。韓国語は「の」を多用しないみたいです。

Posted by さいとう at 2007/01/11 (Thu) 13:42:11

>「東京や大阪の大都市圏の近距離列車」というカテゴリをあらわす言葉
旧国電を指すのであれば、JRという呼称が一般化してると思いますが、そうでもないのかな。

Posted by LL at 2007/01/12 (Fri) 16:23:01

JR = 国電?

JRだと東京や大阪のみならず,全国のJRをさすことになりませんか? ナカムラの住む福井でもJRだし。

>E電やM電ってのはまだ使われてると思ったのですが...

M電ってはじめてききました。ひょっとして業界用語ですか?

Posted by 中村 at 2007/01/12 (Fri) 19:16:50

ロイヤル

王家の紋章(漫画)
ロイヤルエンブレムとかかれると
なんか,違うだろという気がする

Posted by na at 2007/01/13 (Sat) 19:28:48

逆方向なら

通りすがりの者です。

突然変化するというのは、語彙が減少する方向だと難しいかも知れませんが、増加する方向なら想定しやすいのでは。特に、ある言語全体ではなく、個々の話者で考えれば、「語彙の獲得」によってしばしば起こることのように思われます。

「犬」と「狼」という語は知っているが、「山犬」という語は知らない子供(でなくてもいいですが)は、山犬を見たとき、それを「犬」あるいは「狼」と呼ぶでしょう。そして、その子供が「山犬」という語を獲得すれば、それまでの「犬」の一部と「狼」の一部が、「山犬」と呼ばれるようになる訳で、概念の切り分け方も変化するかと。

ついでに、
>万子とか筒子とか索子とかの違いのこと
は、一応「色」と言えると思います。

あと、「ロイヤル」ですが、日本語で対応しそうなのは、本来的には特別な語彙(皇室敬語?)を使った表現ではないでしょうか?つまり、"royal command"に対する「大命」「勅命」などです。ただし、実際に翻訳することを考えると、これで処理できる場合は少なそうですが。

"royal letter"だと、「宸翰」「親翰」という表現があるようですが、普通に使われるものではないし、"royal elephant"に至っては対応する表現自体ありません(皇族の乗る車を「御料車」ということからすると、「御料象」?)。
それに、敬意の含みに違いがありそうなことも気になります。

Posted by lkij at 2007/01/16 (Tue) 03:44:02
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