Oct 20, 2006

疑似理解:東京大学のアルバートアイラー

最近話題の「東京大学のアルバートアイラー」という本を読んだ。これは東京大学でのジャズの歴史に関する講義をまとめたものである。行われた授業そのもののタイトルは「十二音平均律 → バークリーメソッド → MIDIを経由する近・現代商業音楽史」というものらしいが,それを本にするときに「東京大学のアルバートアイラー」というタイトルにしたのは,商業的にはなかなか秀逸。それはともかくとして,その原タイトル通り,本書の主張はジャズの歴史を理解するには「平均律,バークリーメソッド,MIDI」というのが重要なキーワードであるということだ。

この本の前書きには「ジャズ史に限らず,およそ人間が編纂する歴史は総て偽史である」という一文がある。つまり「正しい歴史」なんて決定版はなくて,編纂者のバイアスが必ず入る,ということだと思うが,それは正しいだろう。しかし,絶対に正しい歴史というものはなくても,絶対に間違っている歴史というのはいくらでも有りうる。たとえば,「関が原の合戦で小早川氏が東軍についたのは,Winnyで流出した個人情報をネタにゆすられてたからだ」ななどというのは,あきらかにおかしかろう。

そういう意味で,さきにのべた「平均律,バークレー,MIDI」というキーワードのうち,すくなくともMIDIについては,小早川Winny流出説みたいなものである。だって,現在聴かれるジャズのフォーマットは1980年までにほとんどすべて出揃っていて(アシッドジャズをジャズと呼ぶならこれが唯一の例外かな。M-baseってどうなった?),1983年に登場したMIDIがそれに影響をあたえることはありえないから。皮肉なことに,MIDIに関する解説であるはずの本書十章「MIDIとモダニズムの終焉」で紹介されている楽曲のうち,MIDIを使っているものは1曲もない。また,1983年以降でも,MIDIが本質的な役割を果たしているジャズアルバムは,ごく少数派だ(Tutu?)。たぶん,ジャズって,演歌とならんでMIDIの影響がほとんどないポピュラー音楽の最右翼ではなかろうか。

ジャズに本質的に貢献した20世紀のテクノロジーをいうなら,それはMIDIなどではなく録音技術であろう。楽譜にのこらない即興というものが本質の音楽を伝えるには,録音が不可欠だからだ(本当か? じょんがら三味線?)。とくに,次の世代のミュージシャンの卵たちがジャズを学ぶときにもっとも重要な修行が,録音された先人たちの即興演奏をトランスクライブ --- 耳コピのことね,同じことでもこういうとカッコいいでしょ? --- するという作業であることを考えると,録音技術とその大衆化の重要性は明白だ。

さらに「バークレー」というのも,ナカムラにはちょっと疑問だ。バックグラウンドの知識なしに本書を読むと,バークレーメソッドとは「演奏する音をいちいち楽譜で指定せずに,コードだけ決めといて,実際に出す音は演奏者の自由にまかせる」というのが本質のように感じるが,そんなことはバークレーのはるか前から行われている。バッハのブランデンブルグ協奏曲の中にコードふたつだけしか書いてなくて「あとは適当にやって」という曲があるのは有名だ --- よね?(実はナカムラは クラシックは詳しくない。)少なくとも,パーカーやマイルスなど,ジャズの歴史をひらいていった天才たちはバークレーメソッドなんて知らなかったことは言えるだろう。

しかし,実は著者たちは上でのべたようなことは百も承知で「いまさらジャズの歴史に録音技術がどうのこうのなんて言っても,面白くないじゃーん」みたいなノリでやっているのではなかろうかと思われるフシがある。そしてそのおかげか,本書は読みものとしては滅法面白い。なにを隠そう,本書を読み終わってすぐ,ナカムラは下巻の「東京大学のアルバートアイラー:キーワード編」と,著者たちの前著「憂鬱と感能を教えた学校」を買ってしまったのだ。それはともかく,本書を注意して読むと「平均律・バークレー・MIDIの三つがジャズの発展に本質的に寄与した」とはどこにも書いてなくて,「記号化のこころみ」というような意味のぼけた表現になっている。つまり,うがった見方をすると,巧妙に逃げ道が用意されているのだ。

というわけで,本書は読んで楽しむにはとってもお薦めなのだが,ちょっと気になるところもある。それは本書自体ではなく,それを読んだ人々の反応である。上でリンクをはったアマゾンのカスタマーレビューをみていただくとわかるのだが,「ジャズに対する考え方が一変した」とか「音楽の記号化のエポックに着目することで、こんなにジャズ史、音楽史がスッキリ納得できちゃうとは!!!」とかいう絶賛が多いのである。アマゾンに限らず,ちょっと検索エンジンでしらべて上位にあるblogを眺めてみたが同様である。

ホンマか?ホンマにわかったんか?と小一時間ほど問い詰めたい(ちと古い?)ところだが,上にのべたように,すくなくとも本書を読んでジャズとMIDIの関係が理解できるということはありえない。それ以外のふたつのキーワードについても,その指摘の当否はともかく,文中に具体的な解説がほとんどないので,それがジャズにどうかかわっているかを本書を読むだけで理解するということは,まずないだろう。

では,このような絶賛書評を書いている人たちは,見栄をはってわかったフリをしているだけなのか,あるいは,出版社のまわしものでヨイショ記事を書いているのだろうか? ナカムラが思うに,そうではない,この人たちの多くは本当にわかったと信じてしまって,いわば疑似理解体験をしているのだろう。なぜ,そんなことがわかるのかというと実はナカムラも本書を一読したときは「おお,なるほど」などと感じてしまったからである。

考えるに,ジャズというコムツカシイ音楽,斜にかまえた巧妙な語り口,ちょっと視点を変えた三つのキーワード,などという舞台装置にころっとだまされたような気がする。しかし,あとから冷静に考えるとちょっとまてよ,ということになるわけだ。新興宗教の勧誘みたいなもんだね。世の中,ジャズにかぎらずコムツカシイことを巧妙に語られると,なんとなく納得してしまう,それどころか「目から鱗が!」というように疑似理解をしてしまう,なんてことは結構あるのではなかろうか? だが,本当にわかったつもりになっているのは「ここでちょっと見栄はって,わかったフリをしてやろう」などというのより始末にわるい。すこし前に話題になった「知の欺瞞」関連のやつにも,そういう所ってありそうですね。

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