Nov 01, 2005

しなふぁい

宇宙ジャーナリストの松浦晋也氏のサイトで知ったのだが、この世でもっとも難しいピアノ協奏曲はクセナキスの「シナファイ」だそうな。(クラシックファンでないナカムラはなんとなくプロコフィエフかと思っていた。) この曲はなんと、16声ものパートを一人で弾かなくちゃならん(人間の指は10本しかない!)難曲で、最後の方のソロパートでは10段もの楽譜になっている(ここの解説参照)。こんなんありかいな。ナカムラは読譜能力がないので、この楽譜をみてもどんな音がなるのかちっともわからんがどんな曲なんだろうと思っていると、幸いなことに松浦氏の紹介しているサイトで音源のストリーミングがあった。

これは1996年にこの難曲を新日本フィルと共演した超絶ピアニストの大井浩明氏のサイトであり、ストリーミングの音源はそのときのライブ録音である。ナカムラのイメージでは現代音楽のプレーヤーといえば孤高の芸術家で、気難しい顔をして小難しい形而上学的音楽談義をネットで公開しているものという気がしたのであるが、この大井さんってのは、なんかとっても楽しいひとみたいですね。(まあ、世間では難しげに思われる物理学者の中にもこんな人もいるので、世の中そういうものかも。) とくにこのサイトの左上の「色、艶ともに最高だ!」の写真は最高だ! それから、この「シナファイ」を弾くことになった経緯で、指揮者から何を弾くかと訊かれたときに「らふまにのふの3ばーん」とひらがなで答えるあたりがとってもお茶目なんともいえず良い。

まあ、それはともかくとしてこの曲を聴いてみたのだが、うーん、さっぱりわからん。そこで思い出したのが、以前、ラフマニノフと量子力学についてナカムラが書いたこの文章。ここの話を要約すると、音楽家はみんなにその仕事の真価を理解してもらえるのに、物理学者は専門知識のある一部にしかわからないようなことをやってるので寂しいよう、という話であった (なんちゅう要約じゃ)。しかし、この「シナファイ」を聴いていると、実は現代音楽の作曲家・演奏家も同じようなもんじゃなかろうか、と思えてくる。ナカムラは音楽に関してはそこそこ研鑚をつんだので、たとえばバッハのインベンションなんかは一回聴いたらだいたい楽譜に落とすことができるし、ラフマニノフのピアノ協奏曲などでピアニストが音をいくつか省いて弾いてると、どの音を落としたか正確に言い当てることができる。しかし、この「シナファイ」のピアノソロを聴いて、16声部からなるということは、どうしてもわからなかった。

ああっ、ごめんなさい。ちょっと見栄をはって思わず嘘を書いてしまいました。もちろんナカムラはそんな増井さん(←内輪です)のような音楽的才能はもってません。でも、昨今のポップス程度なら、まあコード進行とメロディーラインとベースラインくらいは耳だけで取ることができるし、普通に聞こえてくる音楽ならだいたいの構造は聴くだけで理解できる(これは本当。こういう人は結構いるからあんまり自慢にはならないけどね)。でも、この曲はさっぱりわからんかった。いや、音楽なら物理と違って技術的なことまで理解できなくても良さはわかることもある。前出のラフマニノフなら音符の細部までわからなくても曲の美しさはわかるし、また素人でも「げげっ。めちゃ難しそう!」というのはわかるだろう。しかしこの「シナファイ」の終わりのソロって、なんかマルコフ的酔歩過程のように音列が聞こえてくるだけで、良さがわからないだけでなく、難しさもよくわからんような気がする。大井氏も「報われない箇所かも」と書いているし。

で、自分がそうだからみんなもそう、というわけではないが、このピアノソロを聴いて16声だとわかる人間の数は、たぶん、球面調和関数を使って水素原子のシュレディンガー方程式を解ける人間 (実は結構いる) より少ないのではなかろうか? 上でふれた「シナファイ」の楽譜を解説してあるサイト(本題からはずれるか、ここで紹介されている他の楽譜もかなりキてます)に、同じクセナキス作曲のHermaの解説があったが、ここでもそれを正当に評価するにはかなり高度の音楽的修練を要求するようなことが書いてあった。この解説を書いていらっしゃる方も自分でピアノを弾いてかなりの腕のようである。つまり、現代音楽というものは物理学のようにごく一部のそれを専門とする人間以外には理解できない世界なのではなかろうか?

ひょっとして、超絶ピアニストの大井氏がコンサートの前にガールフレンドに「今日は君のためにシナファイを弾くよ」というのと、ここで書いたようにプラズマの研究者ががボーイフレンドに「今日はあなたのために静電イオンサイクロトロン波を発生させるわ」というのは、同じようなものじゃないかしらん。それって、現代音楽にとってハッピーなことなのかなあ。

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